「因幡うどん 渡辺通店」
福岡市中央区渡辺通2-3-1
10:00〜20:30(日祝は20:00まで)
◎ごぼう天うどん480円
終戦直後、天神周辺には闇市対策としていくつもの商店街が出現した。その一つである因幡町商店街は引揚者の受け入れを優先する形で現在の天神ビブレ付近に誕生している。そこで『因幡うどん』が創業したのは昭和26年のことだ。
初代、杉正男さんは上海からの引揚者。商店街の一角に12坪の土地を手に入れ、「好きなうどんを毎日食べられる」とうどん店を開いた。「義父は天神にあった『乙ちゃんうどん』の大ファンで、店の職人からスメの作り方を聞いたそうです」。2代目の竹﨑敏和さん(68)はそう話す。
杉さんは改良を重ねて独自の味を確立する。だしを取る昆布、カツオ、いりこ、うるめ、さば節は産地にもこだわった。醤油は日田の「まるはら」を使った。「因幡町商店街35年史」では、商店主仲間が〈奥さんともども、煮干しのうるめ鰯の、はらわた取りの深夜作業が毎日だったらしい〉と記しているほどだ。
戦後復興に合わせて店も繁盛した。昭和36年、福岡駅に西鉄名店街が出来ると支店を出した。2年後には新博多駅が開業し、博多にも進出した。店舗とは別にセントラルキッチンを設けるなど経営の才覚も発揮し、福博の街の成長と共に店舗拡大した。
竹﨑さんが杉さんの娘、葉子さん(64)と結婚したのは昭和54年のことだ。最初は渡辺通店に勤務し、ほどなく製麺、スープ作りを任されるようになった。義父の伝統を受け継ぎつつ、味は進化させている。クーラーの普及、労働者からサラリーマンへの客層の変化に合わせて塩分を控えめにし、小麦粉も一部変えた。キッチンでは八分茹でにとどめ、各店舗で仕上げる。ふわふわと柔らかい麺の秘訣だという。
昨年、ファンを驚かせたニュースが駆け巡った。ラーメン店『一風堂』を展開する『力の源グループ』が因幡うどんの事業を承継したのだ。「3人の子どもは自分の好きな道を選び、後継者がいなかったんです」。当代限りでの廃業も考えたが、事業譲渡という道を選んだ。その理由を尋ねると竹﨑さんは答えた。「従業員のため、何よりファンのためです」
私もそのファンの一人。胃に染み渡るような優しいスメと柔らかい麺にこれからも癒やしてもらえる。素直にありがたい。
現在、竹﨑さんは顧問としてキッチンに勤務し、因幡うどんの味を伝承している。
文・写真 小川祥平
1977年生まれ。西日本新聞社文化部記者として文芸取材を担当。
麺好きが高じて「ラーメン記者、九州をすする!」を出版。