「みやけうどん」
福岡市博多区上呉服町10-24 11:00~18:00(土曜日は17:00まで)、日祝定休
◎うどん320円 トッピングは80円
老舗とは意外に曖昧な言葉だ。何年以上という定義もないし、業種によって基準も違う。「うちは昭和29年創業。老舗じゃないですよ」。『みやけうどん』の三宅正一さん(66)はそう話す。福岡には明治時代から続くうどん屋もあるので分からないでもない。ただ、僕にとってやはりこの店は老舗である。
大博通りの裏通りに店はある。大正14年に建てられた民家風の建物で、「うどん」と書かれた大きな白提灯がぶら下がっている。のれんをくぐると、時間の流れが違う。なんだか緩やかなのだ。昔のままであろう土間や天井。一枚板のカウンター、テーブルは年月ゆえの艶をまとう。厨房の大きな釜はじっと湯気を立ち上らせ、その横で三宅さんは寡黙にうどんを作る。
「親父は仕方なくうどん屋を始めたんですよ」。三宅さんは手を止めてそう教えてくれた。父親の義雄さん(故人)は戦前からの材木商。家賃収入を得ようと、自宅の一角をうどん屋に貸すつもりだった。しかし、改装まで終えたところで借り手と連絡がつかなくなる。だから〝仕方なく〟始めたということだ。当然うどんは素人。最初は職人を呼び寄せ、その後は母親の住世さん(故人)が中心となって店を切り盛りした。
店のそばでは、創業の前年に博多大丸が開業している。二十数年で天神に移転したが、昭和57年にエレデ博多寿屋がオープンした。その頃から店を手伝い始めた三宅さんは「一番売れていた時期ですかね」と振り返る。そして「アップダウンが激しかった」とも。平成11年に寿屋は撤退。街の活気も失われた。
それでも続いているのは、やはりうどんの魅力だろう。注文を受けると、まず釜のお湯に丼をくぐらせる。テボに入れた麺を温めなおし、釜で熱されていた徳利からスメを注ぐ。当然、スープは熱々。それでいて丸みがあってとげがない。麺は一般的な博多うどんよりずっと太い。「創業当時はもっと太かったみたいです」。存在感がありながら、その柔らかさは博多らしい。
半世紀以上、同じ場所、方法で、同じ一杯を作り続けてきた。三宅さんは「変化がないというか進歩がないんですよ」と謙遜する。ただ、同じことを繰り返すことは、変わらないことと同義ではない。味も改良される。何よりこの店の佇まいはその反復によって醸し出されたものだろう。
「ごちそうさまでした」と告げて店を出ると、大通りから喧騒が聞こえてきた。時間の流れが元に戻った気がした。
「親父の思いは薄利多売」と三宅さん。値段の安さも人気の理由だ。
文・写真 小川祥平
1977年生まれ。西日本新聞社文化部記者。著書に「ラーメン記者、九州をすする!」。KBCラジオ「川上政行 朝からしゃべりずき!」内コーナーで毎月第1月曜にラーメンを語っている。