「駒や」
福岡市東区馬出2-5-7
11:00〜21:00(売り切れ閉店)月曜定休
◎ラーメン500円、ワンタンめん650円。
昔、福岡で松任谷由実のコンサートにいった時のこと、ユーミンが「博多ラーメンのにおいが苦手」と話していたのを今でも覚えている。中学生だった私はその言葉に賛同できなかったけれど、当時は街にもっと豚骨臭が漂っていたようにも思う。
あれからおよそ30年。世の中は無臭化していくばかりだが、時代に抗うような店が最近話題となっている。福岡・馬出にある『駒や』は「臭っさいラーメン」を掲げて人気を集めている。
一帯は多くの老舗を育んできた。戦後間もない頃、博多で屋台を引いていた山平進さんと津田茂さんがそれぞれ馬出に『博龍軒』、箱崎に『赤のれん』を構えた。昭和35年頃に河原登さんが早良区で始めた『扇屋』は『だるま』に屋号を変え、箱崎に移転すると大人気となった。 「その3軒が僕にとってのソウルフードです」。馬出で生まれ育った店主、倉田承司さん(41)はそう語る。一時期、古里を離れていたものの4年前に戻り、鉄板焼き居酒屋「一銭洋食駒や」をこの場所で始めた。地元客が多く、ラーメンの話になることもしばしば。昨夏のある日、常連客が嘆いた。「昔ながらの臭いラーメンがなくなったね」。同じ思いを抱いていた倉田さんは勢いで「俺が作りますよ」と返した。
当然簡単にはいかなかった。居酒屋営業が終わって試作を繰り返した。火力、時間、骨の混ぜ方、鍋の蓋の開け閉めに試行錯誤。沸騰する音にも耳をすますようになった。ようやく納得できる「臭さ」にたどり着いたのは2カ月後。「豚200頭は無駄にした」という味はすぐに評判を呼んだ。
すべて新しく作りあげたようだが、記憶に刻まれた別の味もある。高祖母、倉田こまつさんは昭和の初め頃、馬出でうどん食堂「こまや」を営んでいた。支那そばの流行を受け、こまつさんは、あごだしスープにチャンポン麺を入れた「こまやラーメン」を考案した。その味は代々伝わり、倉田家の食卓にも載り、居酒屋時代のメニューにもなっていた。
4月末、居酒屋営業をやめ、ラーメン専門店として再出発した。7席のカウンターのみに改装。一日中鍋の横で過ごし、スープのみに集中できるようになった。
カウンターの向こうで倉田さんは一杯ずつ丁寧に作る。脂が浮いた褐色スープは見るからに濃厚そう。強火で炊いたように見えるが、実は小さい火でじっくりと煮だしているという。だからだろう。口に含むと豚骨の重さというより、だし感が先行する。
確かに豚骨臭い。ただそれは酸味のあるものではなく、心地良い臭さだった。食べながら冒頭のユーミンの話を思い出す。頭の中でリフレインするその言葉にはやっぱり今も賛同できない。
「一日に60杯が限度」と言う倉田承司さん
文・写真 小川祥平
1977年生まれ。西日本新聞社文化部記者。著書に「ラーメン記者、九州をすする!」。KBCラジオ「川上政行 朝からしゃべりずき!」内コーナーで毎月第1月曜にラーメンを語っている。