
夏目漱石さんの「坊っちゃん」は「商人が頭ばかり下げて、狡いことをやめない*1」といった。博多は商人の町。狡いといわれては博多のもんの立つ瀬がござっしぇん。もともと商人を見下したのは朱子学の考えからで、商は農・工のように、ものを生産しないからだそうだ。それは江戸時代で終わったはずではないんだろうか。
「売利を得るは商人の道なり、商人の売利は士の禄に同じ*2」。つまり商売の利益は武士の俸給と同じでいやしいことではない、という博多商人にはうれしい説があった。江戸時代中ごろの民間思想家・石田梅岩のことばだ。
梅岩さんはただし、盗人のような商売はダメともいっている。商売と屏風は真っすぐでは立たない、といったりするけれど「実まことの商人は先も立ち我も立つことを思うなり」と、悪徳商人を断固否定。
士農工商つまり四民とは、人の優劣をたてに並べたのではなく、社会の必要不可欠な仕事を横並びに分担するものだと梅岩さんはいう。士農工商のひとつが欠けても世の中は成り立たない。だから四民は平等だ、と明治維新よりずっと前に説いた。
梅岩さんは丹波の農家の次男。京の商家で20年間働きながら勉強し、人間とは何か、を享保14年(1729)45歳で悟った。そして、京都に無料の講席を開き、人々に説きはじめた。維新の146年も前。
梅岩さんの商人肯定論には町人たちが門をくぐった。その平等性に女性も来た。はじめ女性は断ったけれど、要望が多く、障子で仕切って声だけ聞くならば、と女性にも聴講を許した。男女同席ではないところに、梅岩さんの平等論の限界はある。それでも封建制度のまっただ中、商人も武士も同じというのは画期的だ。
もともと武家(軍事)政権の鎌倉・室町幕府だって、仏僧や商人を介して貿易を盛んにやった。貿易とは商いだ。戦国大名は堺や博多の商人に一目も二目も置いた。博多商人島井宗室には、天下人秀吉が大名に取り立てるというのを、武士はまっぴらですといって断った伝説がある。江戸幕府による鎖国とよばれる政策は、蘭・中・朝貿易の幕府独占政策だった。それこそ狡い!
梅岩さんのほかもいろんな人のいろんな考えがでたのだけれど「寛政異学の禁*3」から自由な考えが禁じられはじめ、商人・商売への蔑視も本格化したようだ。そうして明治時代となって四民平等がスローガンになった。けれど、商売偏見の考えは残っていた。近代文学を牽引した漱石さんでさえ。
ところがここで突然、坊っちゃんの「商人が…狡い」は、「軍用缶詰石ころ事件」のことではないかと思いついたのだった。(つづく)
*1商人が…夏目漱石「坊っちゃん」岩波文庫115頁
*2…石田梅岩「都鄙問答」。梅岩などに関しては、田尻祐一郎「江戸の思想史 人物・方法・連環」中公新書、安丸良夫「日本の近代化と民衆思想」平凡社ライブラリーなどによる。
*3寛政異学の禁…松平定信の「寛政の改革」の一政策。寛政2年(1790)昌平黌で朱子学以外の学問を禁止するよう林大学頭に諭達した。以来各藩もそれに従った。黒田藩でも西学問所の陽明学・亀井南冥は寛政4年蟄居を命じられ、朱子学の東学問所のみとなった。