瑞祥(ずいしょう)といえば博多の龍宮寺には人魚のお骨があるのだけれど、今回は白亀のお話。六つの国史※1 のなかでまともに読んだ日本後紀(にほんこうき)・続日本後紀(しょくにほんこうき)のなかに、瑞祥の記事がいろいろでている。全現代語訳※2 でざっと見つけたものをご紹介。
延暦(えんりゃく)11年美作国(みまさか)が白雉(はくち)を献上。同年伊予国が白鹿(はくろく)を献上。同13年肥前国白雀(はくじゃく)を献上。同20年備中国に慶雲(けいうん)※3 出現。同21年豊後国が白雀を献上。捕獲者に稲500束を賜った。同22年11月老人星(ろうじんせい)※4 (南極星)が出現したと陰陽寮が報告。弘仁(こうにん)2年には白烏(はくう)、5年には白雉(はくち)も出現。また、天長3年には慶雲が都の西の空にでた。五色が混じりあい夾纈染(きょうけちぞ)め※5 の絹の模様のようだったそうだ。
さて、お開きは白亀(はくき)の話。承和(じょうわ)15年5月、大宰府が白亀を献上した。左大臣源常(みなもとのときわ)、右大臣藤原良房(ふじわらのよしふさ)はじめ貴族たちが上表(じょうひょう)※6 した。――瑞祥が現れるのは皇帝陛下(仁明(にんみょう)天皇)の徳がなにより優れ、帝位について全国に富裕をほどこし人民を睦(むつ)みなつかせ公平に治めている結果であり、千年に一度の慶事です。謹んでお祝いいたします。
これに対し天皇はいわれた、――私は謹んで統治にあたっているが、天下が穏やかな状態でないことに恥じている。人民に苦しみがないようにと思うものの政果は上がらず、日暮れてようやく食事をとるほど努めても不十分である。公卿(くぎょう)らが賀表(がひょう)※7 を奉呈してきたが、私のような才能を欠くものがなぜこの瑞祥に相当しようか。霊亀(れいき)の祥瑞はめでたいが、それを頼りとはしない。
けれど、左大臣以下はいま一度、瑞祥について祝賀するべきと上表した。また再度※8 式部省と僧綱(そうごう)らも表を呈出して白亀の瑞祥を祝賀した。
天皇もついに納得され、詔(みことのり)を下した。――神亀(じんき)にみる福の到来は私一人にあるのではない。ここに恩赦を施し、天下と共に万事を改め新しくすべきである。そこで承和15年を嘉祥元年とし、本日6月13日未明以前に犯された死罪以下の罪は軽重を問わず※9 罪人を放免する。天下の今年の田租半分を免除し、労働奉仕は10日分を免除。豊後国大分郡は瑞祥の出現地なので今年の田租を全免する。白亀発見者は正六位上に叙して褒美をとらせよ…などなど、天下あまねく恩典が与えられましたとさ。瑞祥を発見しまっしょ!
※1 六つの国史…六国史(りっこくし)。日本書紀・続日本紀・日本後紀・続日本後紀・日本文徳天皇実録・日本三大実録。
※2 全現代語訳…森田悌『日本後紀/全現代語訳』上中下、『続日本後紀/全現代語訳』上・下/講談社学術文庫。
※3 慶雲…おめでたい雲。
※4 老人星…竜骨座の首星カノープスの漢名。中国古代の天文説で人の寿命を司る。現れれば治安。現れなければ戦乱があるという。
※5 夾纈染め…飛鳥・奈良時代に盛行したインド・中国由来の染色技法。同じ模様を彫った二枚の板の間に布をはさんで染める。複雑な技法のため平安期以降すたれた。
※6 上表…表は臣下が主君に差し出す文。上表は君主に意見・辞意などの文書をたてまつること。その文。
※7 賀表…国家の慶事を臣下が祝いの気持ちを述べて天子に奉る文。
※8 再度…式部省と僧綱の件は本文に見あたらない。
※9 罪は軽重を問わず…ただし八逆・故殺・謀殺・私鋳銭・強窃二盗および常赦の対象でない罪人は赦さない。八逆は八つの重罪(謀反・謀大逆・謀叛・悪逆・不道・大不敬・不孝・不義)。