長谷川法世のはかた宣言39・疫病

長谷川法世のはかた宣言39・疫病


デング熱の国内感染でたいへんだ。国際化は文明・文化だけでなく、ウィルスや細菌まで往来させてしまう。
天平七年(七三五)大宰府の管内で疫瘡えきそう(天然痘)*1が大発生して多数の死者がでた。翌八年、阿倍継麻呂あべのつぐまろを大使とする遣新羅使けんしらぎしが筑紫館*2 を経由して出発。翌年一月、遣新羅使は帰朝するが、行き帰りに船中で疫瘡が発生して大使は死亡、副使も病気で京には入れない。三月になってようやく入京。一行百人は四十人になっていた。そして春、筑紫から大発生した疫瘡は全国に流行。京では藤原四兄弟*3 をはじめ朝臣がばたばたと亡くなり、国務不能に陥ってしまった。
日本で一番古い疫病(流行病・伝染病)の記録は「古事記」崇神天皇の条にある。天皇は疫病対策として大物主神おおものぬしのかみを祀った*4 。仏教が伝来したときも疫病が流行。仏教派の蘇我氏と反対派の物部氏らが争った*5 。文武天皇の慶雲三年(七〇六)も疫病流行。はじめて土牛どぎゅう*6をつくり疫病を祓った。宗教が科学でもあった時代。博多山笠もはじまりは正式な疫病対策だった。
カナダ生まれの歴史学者W.H.マクニールさんは著書「疫病と世界史*7 」でいう。アステカ帝国やインカ帝国が滅んだのは、征服に先立ってヨーロッパから伝播していた天然痘*8 のせいであると。そうでなければ、わずか数百人のスペイン人が何百万人の先住民に勝てるわけがないと。アステカやインカにかぎらず、モンゴル帝国の勃興も、ヨーロッパの宗教改革もみ?んな疫病が関係しているのだとおっしゃる。
はじめに書いたように、日本に天然痘は早くから流行して免疫力もけっこうあった。インカ滅亡の十年後、欧州人との交流が鉄砲伝来とともにはじまったけれど、人口激減するようなことはなかった。その日本も鎖国をやめて開国したとたんコレラが侵入した。
明治日本が諸外国と悲願の平等条約を結ぼうとするとき、「国内雑居」が問題となった。平等条約を結ぶと、外国人居留地は撤廃、外国人はどこでも自由に旅行したり住んだりできる。これを国内雑居といった。職業も自由になるから外国人に仕事を取られるかもしれない。いろんな不安と期待が入り混じって、日本中議論が巻き起こった。川上音二郎さんも国内雑居をテーマに演説した。
マクニールさんの本は一九七六年発行だから、HIVもエボラ出血熱も論じられていない。けれど、そうした突然変異や未知の病原体による疫病流行は終わることがないと結論づけられている。
じゃあ、どうすればいいんだ。ひとり鎖国ってあるのかな。とりあえず蚊や虫に刺されないよう注意して、外から帰ったらうがいと手洗いかあ。

*1)大宰府の疫瘡…「大宰府古代史年表」川添昭二監修・重松敏彦編 吉川弘文館などによる
*2)筑紫館…鴻臚館の前身という
*3)藤原四兄弟…藤原不比等の四人の息子、武智麻呂・房前・宇合・麻呂。兄弟で朝廷の実権を握り、遣新羅使派遣・東北遠征など積極政策をとったのが裏目の疫病流行となったか
*4)大物主神を祀った…帝の夢にオオモノヌシノカミが現れ、疫病は自分の仕業であり、オオタタネコを探して自分を祀らせれば神の祟りもしずまるだろうと告げた。帝はそのとおりにおこなった。「現代語訳古事記」福永武彦・河出文庫より
*5)反対派の物部大連尾輿や中臣連鎌子らと仏教派の蘇我大臣稲目宿禰の間で争いが起きた
*6)土牛…土で作った牛の像。陰陽師が大寒の前夜、疫気を払うため宮城の門口に立てた(広辞苑)
*7)疫病と世界史…一九七六年発表。中公文庫上・下二〇〇七年
*8)伝播していた天然痘…一四九二年コロンブスがエスパニョーラ島(現ドミニカ共和国・ハイチ共和国)「発見」。翌年スペイン人入植。一五一八年天然痘発生、メキシコへ上陸、アステカへ。一五二〇年グアテマラ、一五二五~二六年インカへと広がる。コルテスのアステカ征服は一五二一年。ピサロのインカ征服は一五三一年からなので、天然痘流行が先行している。

関連するキーワード


長谷川法世のはかた宣言

最近話題のキーワード

ぐらんざで話題のキーワード


プレゼント ぐらんざ人