「ペルー軒」
福岡県うきは市吉井町1307-4
午前11時~午後2時ごろ 不定休
ラーメン 550円
ぼくもそうだったが、初めてここを訪れた人の頭には「?」が浮かぶことだろう。店があるのは福岡県うきは市の旧吉井町中心部。白壁土蔵造りの建物が残る古い街並みの中に、突然「南米ペルー軒」と書かれた看板が飛び込んでくる。ペルー? 何料理屋さん?
のれんをくぐると、ラーメン店だと分かる。それもいたって普通の。でも、なにゆえこの名前? 「詳しいことは分からんけど、ペルーに行っとったから。それでつけとります」。いつも聞かれるのだろう。厨房の渡辺洋子さん(67)はよどみなく答えてくれた。
結婚前は大分のラーメン店で働いていたという渡辺洋子さん。
即戦力でペルー軒を支えた
ペルーに行ったのは渡辺さんではなく、義父で創業者の勝之さん(故人)だ。渡航時期は不明と言うが、「ペルー日系人協会」などがまとめたサイトを検索すると勝之さんの名前を見つけた。
昭和2年3月20日、銀洋丸という船で現地入り。誕生日から計算すると26歳の時だった。
当時多くの日本人が南米に渡ったが、理想と現実の違いを突きつけられた移民も少なくなかった。勝之さんもそうだったのかもしれない。
「現地の食堂で働いたけど戻ろうと思ったみたいです。最後の船に乗って帰ったと聞いとります」
日本とペルーを結ぶ輸送船は昭和15年頃まで続いたので、その時期に戻ったと思われる。帰国後は帽子店をやったらしい。そして戦後の昭和32年、ラーメン店を始める。その屋号こそがペルー軒。ちなみに、久留米の職人から習ったので味にペルーは関係ない。
渡辺さんは昭和51年に勝之さんの息子で2代目の正男さんと結婚し、店に入った。既に人気だったのは珍しい名前ゆえではない。当たり前だけれども、勝之さんのつくるラーメンが客を引きつけていた。
先代から受け継いだ一杯は白濁を抑えたタイプ。トッピングには、ほかでは見たことがない三角形の薄焼き玉子が載る。かつては海苔も載せていたが、いつの頃からか玉子だけになったという。一口すする。見た目に違わず舌に優しく乗った。
「鶏がらを使ってるのとか、和だしが入ってるのとか言われますが、豚骨だけです」と渡辺さん。さまざまな部位の豚骨を火加減を調整しながら炊く。そして丁寧に灰汁を取る。うま味が詰まった滋味スープは飲み進めてもくどくない。チャーシューの塩気をアクセントに、柔らか目の麺がするすると胃の中に入っていった。
平成26年、夫の正男さんが亡くなった。「味を維持していくのが難しい。でも今まで通りやるだけ」。今は息子で3代目の正人さんとともにのれんを守る。
白壁が連なる街並みは大正期にはほぼ現在の形になったとされる。若き日の勝之さんもこの風景を目に刻んだのだろう。近年はこの街並みを目当てに来る観光客が増え、店名の由来を聞かれる機会が多くなった。
「なんでペルー軒なんですか?」
もちろんいつもこう答えている。
「詳しいことは分からんけど、ペルーに行っとったから、それでつけとります」
文・写真 小川祥平
1977年生まれ。西日本新聞社出版グループ勤務。
著書に「ラーメン記者、九州をすする!」。「CROSS FM URBAN DUSK」内で月1回ラーメンと音楽を語っている