福岡支社には茶室があった。
四畳半の簡素な数寄屋造りで、内装はあじろ天井、点前畳の右に炉が切ってあった。壁は聚楽で漆喰風、床の間に釣り棚が焼き竹で支えられていた。にじり口も会社のロビー側にあり、主入口には待合もどきもあり、内露地やつくばいはなかったが、ビルの中の茶室としては十分なしつらえだった。
支社長が皆でお茶を習おうと提唱した。私もどうかと誘われたが、茶道はどうも道具を誇りあうし、決まりごとが多くて意に添わなかった。
言葉を濁していると、「まず、見学でもいいから、来いよ」と半ば強引に誘われた。博多だけに南坊流の先生に指導を仰ぐことになったと聞いた。当時、南坊流という流派さえ私は知らなかった。始祖は南坊宗啓で千利休の高弟、「南方(坊)録」という書を残しており、利休の教えを詳細に記述している書物だと聞いた。先生の名はM.Kさんと云い、長くサラリーマンをやり、定年後に師範免状をとったとのことだ。男性の先生ということで、問答ができると興味がわいた。
支社長の顔も立てて、始業前の朝7時半、初回に顔を出すことにした。現れた先生は60歳くらいの温顔の人であった。
「先生、今の茶道は道具や骨董を誇りすぎるように思いますが、利休からの風潮でしょうか」
「いえいえ、とんでもありません。そこらの物を道具にすれば良いのです。その物がなければ、知恵を使って代用品で良いのです。利休はそう教えています。」
「利休は折り紙を付けていますね。あの折り紙が、値を嵩張らせていきましたが…」
「利休は無名であれ何であれ、真の美を見つけ出したのであり、騰貴高騰のために折り紙を付けたのではありません。」
「茶道が高級家庭のお嬢さんたちのお習い事になっているのをどうお考えですか」
「もともと茶道は武将、男の世界のたしなみ事です。お茶の目的は人格の向上と、和敬ある交流こそが本意です。男性こそ嗜まれたらと常々思っています。」
「利休が華美の茶道を創り出したのではないのですね」
「利休の教えは、南方録の冒頭にもありますが、家はもらぬ程に、食事は飢えぬ程に、ただ水を運び、薪をとり、湯を沸かし、茶をたてて、佛にそなえ、人にもほどこし、吾ものむ、花をたて香をたく、ただひたすらそれだけです。」
先生が伝える茶道は簡素質素で、おごらぬものだった。先生が平点前をしてみせた。大きな山がゆっくりと動くかのようで、堂々としていた。
「先生、正座は今から働こうという者にとって、ズボンの折り目は消え、膝頭は丸くなり、膝の後ろ側に皺がよりますが、これは何とかならないでしょうか」
「それは気が付きませんで、あぐらでけっっこうですよ。皺のよらぬようゆるりとお座りください。」
その言葉の優しさと自由裁量に感服して、南坊流の生徒のはしくれとなった。48年前のことである。
中洲次郎=文
text:Jiro Nakasu
昭和23年、大分県中津市生まれ。
博報堂OB。書評&映画評家、コラムニスト、エッセイスト。
近著「伊藤野枝と代準介」(矢野寛治・弦書房)
『反戦映画からの声』(矢野寛治・弦書房)
新刊『団塊ボーイの東京』(矢野寛治・弦書房)
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やましたやすよし=イラスト
Illustration:Yasuyoshi Yamashita