34年前の6月、会社からの選抜で、カンヌ国際広告祭へ行くことになった。広告祭は、カンヌ映画祭が終わると引き続き始まる。世界各国のCMを一堂に集めて、本年度の賞を決めるのである。ドレスコードのあるパーティも多く、昼は麻の白のスーツ、夜用に黒のタキシードを用意した。
成田からKLMに乗り、オランダのスキポール空港でデルタ航空に乗り換え、コートダジュールのニース空港に着いた。荷物カウンターで私のトランクが着いていないことが判明する。カウンターの人が調べて、「あなたの荷物は、今、カナダのトロントにある。明日にはホテルにお届けします」とのことだった。よくあることらしく、あまり大変なことだとは思っていない風情である。ならぬカンヌ、するがカンヌで、私も紳士的に承諾した。
西のカンヌへは地中海沿いの海岸道路を車で向かった。青い海に豪華な白いクルーザーと、色とりどりのヨットが戯れている。思わず冬でもないのに、森進一の『冬のリヴィエラ』を口ずさんでいた。リヴィエラ一帯はフランス人たち垂涎のバカンス地だ。途中、アンチーブにピカソ美術館があるとのことで、ちょいと寄ってもらった。地中海の断崖絶壁に建つグルマンディ城は、ピカソが滞在した時のアトリエであり宿舎だった。ここは絵というより、ピカソの陶芸作品が多く置かれていた。海を臨むバルコニーに、あの有名なギター串刺しのオブジェも置かれている。どう見ても、私にはよく分からぬ作品もあった。夕刻前にカンヌの街に入った。宿は海岸通リ、地中海を独り占めにしたようなホテル・マルチネスで、前の砂浜はプライベート・ビーチ、青と白のパラソルの花が美しく咲き乱れていた。
広告祭会場はクロワゼット通りにある「パレ・デ・フェスティバル・エ・デ・コングレ」。ホテルから歩いて7分くらい、ここで一週間、世界中のCMを浴びるほど見続けるのである。各国、国民性に応じた表現で、とくに欧州や南米は性的表現がどぎつく、それに比べると日本のCM表現は相当にエレガントで情緒があり、レベルの高いものだった。朝から夕刻までCMを見続けていると実に辟易とし、気が鬱になってきたが、ならぬカンヌ、するがカンヌと我慢した。
広告祭が終わった翌日、発散するように北東のヴァンスの町へ足を延ばした。ここにはマチスの美術館がある。教会が美術館のようになっているロザリオ礼拝堂である。卵型の顔の神父を多く描いている。タッチが柔らかく、それでいて力があり、滋味にあふれた優しさがあった。聞けば近くにシャガールの美術館もあるとのことで、そちらへも足を延ばした。青のシャガール、紺碧のシャガールと云おうか、中には陰鬱な群青のシャガールもあった。マチスにはない生きることへの悔いと辛さを感じた。
帰りはムージャンの町にある「ムーランド・ムージャン」という森の中のレストランで夕食をとった。料理も美味しかったが、デザートの種類の多さに感動し、あれもこれもと注文してしまった。チェックの段になって、お値段のベラボーな高さに息を呑んだ。ならぬカンヌ、するがカンヌと、心を諫めた。
中洲次郎=文
text:Jiro Nakasu
昭和23年、大分県中津市生まれ。
博報堂OB。書評&映画評家、コラムニスト、エッセイスト。
近著「伊藤野枝と代準介」(矢野寛治・弦書房)
『反戦映画からの声』(矢野寛治・弦書房)
新刊『団塊ボーイの東京』(矢野寛治・弦書房)
◎「西日本新聞TNC文化サークル」にて。
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やましたやすよし=イラスト
Illustration:Yasuyoshi Yamashita