営業の先輩に声を掛けられた。
「君は料亭というものに行ったことはある?」
「いえ、ありません」
「行かないか、僕もないんだよ」
「でも一見(いちげん)は上げないと聞いてますが。誰か、紹介でもあるんですか」
「ない。ただ本当に一見は上げないのか、試してみたいんだ。軍資金はある」
「じゃあ、お供します。私も興味があるんで」
暮れなずむころ、中洲に着いた。まず西中洲に古くからある「きくしげ」を覗く。門から玄関まで距離がある。黒塗りの車が数台止まっている。威厳があり、中へ足が進まない。ここは腹が据わらず次に回った。春吉橋を渡って右に曲がり、那珂川べりを南新地の奥に進む。清流公園そばに、ひっそりと佇む料亭があった。白行燈の電照看板に「仲柳」と墨文字で書かれている。木造の門から玄関まで5mほど、ほどよく往来が暗く入りやすい。
「ここに、しましょうか」敷地に入り、玄関の格子のガラス戸を開ける。三畳ほどの三和土で、下足番のおじいさんが丸椅子に腰かけていた。
「あのー、予約をしていないんですが、食事できますか」、おじいさんは若僧二人にとまどったのか、奥に声をかけ仲居さんを呼んだ。仲居さんは三崎千恵子(「男はつらいよ」のおばちゃん役)さんに似た人で、「初めてですか、どなたかご紹介はあるのですか」と聞く。そこに「どうしたの」と女将さんらしき人が現れた。年の頃は50歳前後、ろうたけた美しい人で、泥大島の地味な着物を召している。
「私達二人、いまだ料亭なるものを知りません。今日は一度体験してみようと、勇気を出して門をくぐったわけです」と直立で伝える。先輩が「お金ならあります。ご迷惑はおかけしません」と声を発した。女将さんの眼鏡に叶ったのか、上げてもらえる仕儀となった。式台は二段で、上がって右に案内される。一間廊下で、途中、廊下の下を小川が流れている。一番奥の部屋だった。二の間が六畳、一の間が十二畳の二間続き。奥に床の間と違い棚が施されていた。
仲居のお姐さんが「女将は、いちばんよいお部屋をくれたのよ」という。「はい、旦さん方、座って」と、座卓と脇息のある上座に座らされた。しかも、「旦(だん)さん」である。言われたことがないから、気恥ずかしい。トイレは部屋ごとに専用のご不浄があった。料理が運ばれ、お姐さんにお猪口とコップの盃洗の仕方を伝授してもらった。しばらく料理を愉しんでいると、突然、庭を犬が一匹通った。仲居さんが「ケンタローって云うんです。夜9時になると、必ず庭をパトロールするんですよ」と教えてくれた。
夜も更け、ほどよく酩酊し、計算を先輩が頼んだ。しばらくして、女将さんが入って来た。
「料亭はいかがでしたか」と訊く、「お料理もお酒もおいしく、仲居のお姐さんのおかげで、愉しませて頂きました」と答えると、「うちは一見様からは現金では頂戴いたしません、お名刺をください。後日、ご請求書を送らせて頂きますから」、先輩が「え、もし振り込まない時はどうします」と尋ねると、「それはそこまでのご縁だったということで」と女将は笑みで答えた。
料亭というものの格式を感じさせられた。
中洲次郎=文
text:Jiro Nakasu
昭和23年、大分県中津市生まれ。
博報堂OB。書評&映画評家、コラムニスト、エッセイスト。
近著「伊藤野枝と代準介」(矢野寛治・弦書房)
『反戦映画からの声』(矢野寛治・弦書房)
『団塊ボーイの東京』(矢野寛治・弦書房)
新刊『我が故郷のキネマと文学』(矢野寛治、弦書房)
◎「西日本新聞TNC文化サークル」にて。
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※詳しくは ☎092・721・3200 まで
やましたやすよし=イラスト
Illustration:Yasuyoshi Yamashita