炎のランナーを再び見た
新聞社でスポーツ報道に携わるようになり五輪が終わるたびに続けてきた。もう現役ではないが今回も挑んだ。映画「炎のランナー」の再鑑賞だ。1981年に公開され、英国映画ながら米国アカデミー賞作品賞を受賞するなど世界的にヒットした作品だ。何よりギリシャ人のシンセサイザー奏者で作曲家のヴァンゲリスによる音楽があまりにも有名だ。
物語は走ることでアイデンティティーを確立しようとするケンブリッジ大生でユダヤ人のハロルド・エイブラハムス、その才能を宗教のため神に捧げるように走るスコットランド人牧師のエリック・リデルという2人の実在する人物が1924年のパリ五輪に挑む姿を描いている。
一部脚色もあるそうだが作品には近代オリンピックが抱える数多くの問題が盛り込まれている。最近では商業主義の方が強くなったがコーチを起用することでアマチュアリズム精神を問われる姿、国家への忠誠や戒律の厳しい宗教への関わり方などなど――だ。
金メダルがニュース価値を上げることを否定しない。しかし、今回の東京五輪でも何度も見せられたが金メダルを逃した日本人選手たちが「不甲斐ない結果に終わり申し訳ないです」と語るたびに胸がいたみ自問した。猛烈な身体能力と素質を持った選手たちが4年に1度しかない大舞台に立つために並々ならない努力を積み重ねている姿を過去何度も見てきたからだ。
学校で教えられた五輪の生みの親とされるピエール・ド・クーベルタン男爵の言葉がある。「オリンピックは参加することに意義がある」。うかつなことに私は「五輪に出場できれば、それだけでも良いのだ」と解釈していた。これは誤りでクーベルタン男爵は「人生で重要なのは成功することではなく努力することだ。大切なのは勝利したかどうかではなく、よく闘ったかどうかなのだ」とも言い添えている。映画の中でハロルドもリデルもこの言葉通りに五輪に挑んでいた。
開会までにコロナ禍や様々なスキャンダルもあったが期間中の選手たちのパフォーマンス、終了後の今もネット上で世界中からの賞賛が続く大会ボランティアの仕事ぶりを読んだり聞いたりすると私は大声で叫びたくなる。みなさんが持ちうる能力を最大限に発揮しただけでも「東京五輪は成功でしたよ!」と。
文・写真 岡ちゃん
元西日本新聞記者。スポーツ取材などを経験し、現在ブログやユーチューブなどに趣味や遊びを投稿し人生をエンジョイするぐらんざ世代。