空に"月"が綺麗
今年の「中秋の名月」は9月10日だ。瀬戸編集長から「たまには風流に月見に挑んでみましょうよ」と言われ、忙しさにかまけて夜空を見上げることも、ましてや月見をすることすら忘れていたことに気付いた。
生来の凝り性がむくむくと鎌首をもたげ、間近での月見をしようと考えた。息子たちが小学生の頃に天体望遠鏡をねだられたことがあった。一緒に楽しもうと思い、手作り望遠鏡のキットを購入したことがある。今回も同じキットを買った。
「天文学の父」と呼ばれるイタリアの天文学・物理学者のガリレオ・ガリレイ(1564~1642年)も20~30倍の手作り望遠鏡で月に山や谷があることを発見したそうだ。宗教裁判にかけられ弾圧されても「それでも地球は回っている」と言ったガリレオのような信念はないが「岡ちゃん手製」の25倍の望遠鏡を中秋の名月を待たずに夜空に向けてみた。ネット通販で買った手作り望遠鏡にもかかわらず月が鮮明に見えるのはさすがだ。太陽光を反射して、灰色の世界が接眼レンズにぽつんと浮かんでいた。
当たり前のことだがウサギが餅つきなどはしておらず、空気がないからだろう月が無音の世界だとぼんやりと実感できる。UFOの基地はないだろうか?とか、宇宙人がいないだろうか?―くだらないことを夢想しながらいつまでも眺めていられるから不思議だ。
かたわらに月見だんごこそなかったが、月見酒を用意しチビリチビリをやりながら至福の時を過ごした。この地球から38万キロ先にある月を望遠鏡越しに眺めていると、月面にはだれもおらず(多分?)、間近にあるようにも感じるせいだろう。接眼レンズ越しなのに月面に取り残されたような気にもなり、少しばかりの寂寥感まで感じた。
一方で、月面には「嵐の大洋」「雨の海」などの巨大クレーターがありパソコンを横に置き地図で〝月の海〟を一つ一つ確認する21世紀ならではの月見にもなった。ふと、望遠鏡を横にしてシンガーソングライター斉藤和義の「空に星が綺麗」を替え歌にして口ずさんだ。
♪口笛吹いて歩こう/肩落としている友よ~/いろんなことがあるけど/空には〝月〟が綺麗~
文・写真 岡ちゃん
元西日本新聞記者。スポーツ取材などを経験し、現在ブログやユーチューブなどに趣味や遊びを投稿し人生をエンジョイするぐらんざ世代。