「つる荘」
福岡県広川町新代1879-1
午前11時~午後6時 木曜定休
ラーメン550円、具うどん520円、ちゃんぽん620円
☎0943・32・1047
ラーメンの味は器の中だけで完結しない。店構えだったり、客だったり、店主だったり。器の外側がいいスパイスとなって、内側をもり立ててくれる。
「お客さんが『来たばーい』ってこらっしゃる。主人は無口だから、お客の話し相手は私の仕事よ」福岡県広川町にある「つる荘」の久保田郁子さん(78)は笑う。直前まで建設現場で働く兄さんたちが食べに来ていたという。作業服に地下足袋。ラーメン、チャンポンといった麺類とご飯を注文して、取り放題の漬物を合わせる。炎天下の現場仕事の合間にはうってつけの昼食だろう。「気軽に来られる。うちはそんな店だから」と郁子さんはどこか誇らしげだ。
創業したのはカウンターの奥で黙々と仕事をこなす夫の博敏さん(80)である。東京に働きに出たが20代前半で帰郷。祖父が「飲食をやらないか」と土地は提供してくれた。とはいえ修業が必要。そこで赴いた先がうどんの「久留米荘」(久留米市)だった。2年間働いた後の昭和42年につる荘を開業する。屋号に「荘」をもらった。「つる」は、キッコーツル醤油を使っているからだという。
昔ながらのカウンターで写真に収まる
久保田さん夫婦
「最初の夏でいきなり苦労してね」。博敏さんが手を休めてこっちに来てくれた。鰺子、うるめなどで煮出したうどんは人気を集めた。ただ、暑い時期になるとからっきし。「そこでラーメンば出そうってね」
実は、うどん修業の後、博敏さんは店が建つまでの食い扶持を得ようと八女市にあった三福(43杯目で紹介)で働いていた。骨の下処理など一通り手伝い、まかないは自分でつくっていた。「今日みたいに暑くてもね、ラーメンだったら売れるんよ」。うどんとラーメン。この2つの看板メニューが当たった。
苦境を救った一杯をつくってもらう。軽く濁ったスープは滋味深い。豚骨に鶏がらを混ぜた古き時代の久留米ラーメンを感じさせる。しっかり茹でられた麺に、ほどよい獣臭と塩味が乗る。胃袋に収まった後も余韻がある、大好きなタイプだった。
店を軌道に乗せると、チャンポン、焼きそば、皿うどんとメニューを増やし、麺食堂として地元に親しまれた。博敏さんは早朝から製麺とスープづくりに勤しみ、その味を楽しみに常連客が通う。変わらない日々の積み重ねが、年輪のように堆積していった。その積み重なりは、年季の入ったカウンター、テーブル、コンクリート床を見れば分かる。ここのラーメンはこの場所で食べるべきなのだ。
「お父さんは働くのが好き。とても感謝してます」。郁子さんは夫に目をやる。対する博敏さんは「苦しなってきたけど、二人三脚でやっていくしかない」とはにかんだ。
引き戸を閉めて店を出た。振り返ると、壁面に「つる荘」の文字が書かれ、折り鶴のイラストが添えられている。薄く消えかかっているが、それもまた悪くない。
文・写真 小川祥平
1977年生まれ。西日本新聞社出版グループ勤務。
著書に「ラーメン記者、九州をすする!」。「CROSS FM URBAN DUSK」内で月1回ラーメンと音楽を語っている