「三福」
福岡県広川町新代1154-10
豚骨ラーメン605円 鶏塩ラーメン605円
午前7時~午後3時 基本は日曜定休、
☎︎0943・32・5888
店先には「昭和二十五年創業」とある。でもなぜだか老舗らしさは感じなかった。整然とした店内には田島瞳さん(42)、大武恵美子さん(70)親子の姿。雑然とした店に頑固親父、といったステレオタイプな老舗像とかけ離れているからそう感じたのかもしれない。
店の前に立つ大武恵美子さんと田島瞳さん
ただ、話を聞くとさすが老舗と思う。創業者は樋口富太さん。戦後間もなく福岡県八女市(当時は福島町)の繁華街で「三福」を開いた。はっきりしたことは分かっていないが、堀川自動車(現在の堀川バス)の経営陣だった樋口さんが久留米でラーメンを学んだらしい。堀川自動車は八女と久留米をつなぐ路線バスを運行し、「三福開店の理由はバスドライバーたちへのおもてなしのため」という逸話も残る。
「店の横に岩田屋があって、家賃が一番高い場所といわれてました」と大武さんは懐かしむ。樋口さんと親戚関係にあった大武さんは四十数年前、タクシー運転手だった夫の博孝さん(故人)とともに修業に入った。樋口さんの息子で2代目の三也さんは、大武さん夫婦の仲人という間柄でもあった。
4年の修業を経て、夫婦は福岡・二日市でラーメン店「五代」を開く。店を軌道に乗せる一方、三福は存続の危機を迎えることになる。富太さん、三也さんが亡くなり、後継者がいなくなったのだ。それでも初代の奥さんは諦めきれずにいたという。「店を閉めたくない」と。
大武さんは振り返る。
「恩がありましたから。自分たちの店は諦めたんです」
昭和から平成に変わる頃、夫婦で八女に戻った。最初は店舗ごと引き継いで9年間営業。その後国道3号線沿いの現在の場所に移った。田島さんはこの頃から本格的に厨房に入っている。
「瞳という名前を付けてくれたのも2代目。私もかわいがってもらいました」。そう語る田島さんに代々伝わる一杯を作ってもらった。
厨房に立つと柔和な表情が一瞬引き締まる。昔ながらの羽釜と平ざるを使い、器用に麺をすくう。そして小気味よく湯切りし、丼に盛り付けた。できあがったのはさっぱりした豚骨スープ。脂分少なめで強すぎないのがいい。麺の長さのせいか、舌触りのせいか。すすり心地がとてもよかった。
老舗らしからぬ話ではあるが、店には豚骨と双璧をなす人気の新メニューがある。2年半前、博孝さんが体調を崩したため、夜営業を辞め、朝営業に切り替えた。それを機に考案した鶏塩ラーメンだ。食べてみると、こちらも優しい味。鶏だしの滋味な旨味を、控えめな塩味が引き立てる。豚骨と同じように麺のすすり心地が秀逸だった。
田島さんは約10年前、4代目として正式に店を継いでいる。
「親の苦労を知っていたので、私が代わろうと思った。長男が生まれて親の気持ちが分かったのかもしれませんね」
ちなみに二日市時代の「五代」には「5代続くように」との願いを込めた。かつて夫婦が想像した未来は、違った形かもしれないが今につながっている。
文・写真 小川祥平
1977年生まれ。西日本新聞社出版グループ勤務。 著書に「ラーメン記者、九州をすする!」。「CROSS FM URBAN DUSK」内で月1回ラーメンと音楽を語っている