吟じてみました
新聞記者時代に大分県日田市に勤務したことがある。かつての天領だけに江戸時代から続く文化的な行事が盛んな土地柄だった。読者も多く〝知名士〟枠で句会など、さまざまなイベントに招待された。何より、勉強になったのが咸宜園(かんぎえん)での西日本シティ銀行の久保田勇夫会長らを招いた対談の司会だった。
事前に文献を読んで勉強した。咸宜園は江戸時代の儒学者・広瀬淡窓が1805年に創立した全寮制の私塾だ。名の知れたところでは蘭学者・高野長英、日本陸軍の基礎を築いた大村益次郎らそうそうたる顔ぶれを輩出した全国屈指の教育機関だった。
中でも咸宜園で盛んに行われていたのが漢詩に「節」をつけて読んで聞かせる詩吟だ。詩吟は咸宜園から他の私塾や各地の藩校に広がった説もあった。
日田の文化人から詩吟に誘われたこともあったが、当時は断った。そんな詩吟に今回挑むことになったのは、かつて仕事でお世話になった恩人のおかげだ。プロ野球「福岡ソフトバンクホークス」の事業と施設部門を担当する会社の管理職をしていた淵郁子さんが、ご自分でイベント会社を立ち上げ代表取締役になったと聞き、食事をしたからだ。食事の場で私は元新聞記者らしく、いろんなことを根掘り葉掘り質問した。
その過程で淵さんの母上・淵岳豊(ふちがくほう)さんが詩吟岳鐘会の師範をしており、長崎市から福岡市に出張指導をしていると聞いた。「月1、2回、日曜祝日中心に福岡市の赤坂公民館で教えているので来なさいよ」と誘われた。早速、顔を出してみた。
当日の生徒は7人。まず先生からの呼びかけに元気よく「はい」と答えて、自分のキーを教えてもらう。私は男性にしては高い方だと言われた。いつも口ごもり気味で不明瞭な発音をしているので自分では声は低いと思っていた。続いて淵先生が初心者でも分かるように「腹式呼吸」や独特の吟じ方を丁寧に指導してくれた。指導に従い、吟じ始めると何となく詩吟っぽくなっていくのがわかった。何より、腹式呼吸が体内の毒気もストレスも排出する気がした。詩吟は健康にも良いのだ。
詩吟は幕末から明治にかけて、剣舞とともに全国に広がり各地に流派がつくられた。さらにラジオとともに普及し、戦後は日本語の美しさも表現するようになった。淵先生は歌謡曲の途中で詩吟を吟じる「歌謡吟」もCDで流してくれた。
私は、なぜか米国のラッパー・エミネムの名曲「スタン」を思い出した。悲しげな女性ボーカルの合間にエミネムの過激なラップが挿入される。詩吟とラップを一緒にするなって? 詩吟を使って幕末の志士たちは悲憤慷慨し吟じていたはずだ。ラップも若者の憤りを訴えるものが多い。極論だが、詩吟はラップだ。
淵岳豊さんは会員募集中で問い合わせ先は☎092・737・5257=(株)マムプロジェクトへ。
文・写真 岡ちゃん(岡田雄希)
元西日本新聞記者。スポーツ取材などを経験し、現在ブログやユーチューブなどに趣味や遊びを投稿し人生をエンジョイするぐらんざ世代。