「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」は原文がざっと二千文字。訳文もかんたんに読める※1 ので、気がむくと部分読みして楽しんでいる。
ここで基本的なこと。魏志倭人伝の説明。西晋の陳寿が書いた「三国志※2」という歴史書があり、その中に倭人伝はかいてあるのだけれど、倭人伝という見出しがあるわけじゃない。三国志は中国の三国時代の歴史書で、内容は魏志30巻・呉志20巻・蜀志15巻、合計65巻ある。その「魏志」のおしまいの、巻30「東夷※3 伝」という項目のそのまたおしまいに、倭人のことがかかれているので、「魏志倭人伝」という名がつけられている。といいながら、自分では三国志をまったく読んでいなくって、魏志倭人伝2000字分を読みかえすばかり。
ちなみに、世間ではふつう、蜀の劉備やら諸葛孔明やらが活躍する話を三国志という。けれど、それはほんとの名前を「三国志演義(さんごくしえんぎ)※4」という小説であって、陳寿の「三国志」や「資治通鑑(しじつがん)※5」をもとにして羅貫中という人がかいたといわれている。これもまだ読んでいない。
え~と、今回は、「旧唐書(くとうじょ)」の驚愕の一文、「倭国者古倭奴国(わこくはいにしえのわのなこく)」。はじめに魏志倭人伝のことをかいたのは、この「倭国者古倭奴国」の前ふりだった。中国の倭人伝は、魏志に限らなかったんだ。
10年もまえに買っておいた岩波文庫の、石原道彦編訳『新訂旧唐書倭国日本伝(くとうじょわこくにほんでん) 他二編』を、こないだ久しぶりに開いてみてびっくり。「日本は昔の倭奴国である」とかいてあるじゃないか⁉ 唖然茫然!赤鉛筆でチェックしてるから、10年前にちゃんと読んでるはずなんだけど、こんな大事なことをまるで忘れている。
この文庫には中国の国史、旧唐書・宋史・元史にかかれた倭国(日本)伝がおさめられている。問題は、三書の冒頭だ。原文※6 は注釈にまわして、訳文をみてみよう。
旧唐書※7「倭国(わこく)は古(いにしえ)の倭奴国(わのなこく)なり」
宋史※8「日本国は本(もと)の倭奴国なり」
元史※9「日本国は東海の東にあり、古は倭奴国と称した」
ね、たまがったでっしょう?三書とも、倭国(日本)は昔の「倭奴国」ってかいてある。倭奴国ってのは、ほれ、あの、国宝の、金印の、ね、「漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)」の奴国ですよね。博多近辺の奴国。魏志倭人伝の奴国じゃん! わ~い、奴国(≒博多)が日本だったんだ!!
※1 かんたんに読める…訳文は読みやすいけれど、邪馬台国の距離や方角や原文の読み方など、複雑怪奇な迷宮に這入(はい)り込まなければならない。
※2 三国志…中国の二十四史の一。魏・呉・蜀三国の歴史書。東夷伝倭人の条は3世紀ごろの日本に関する重要文献。
※3 東夷…中国ファーストの見方による東方の異民族。西戎・南蛮・北狄に対する。
※4 三国志演義…明代の長編小説。羅貫中著。元禄初年、湖南文山訳「通俗三国志」によって日本でも読まれるようになった。
※5 資治通鑑…政治の鏡になるという意で神宗がなづけた。司馬光編著294巻。中国戦国時代(前403)から五代の終わり(959年)まで1362年間の年代記。
※6 原文…旧唐書「倭国者古倭奴国也」。
宋史「日本国者本奴国也」。元史「日本国在東海之東古稱倭奴国」。
※7 旧唐書…中国の正史二十四史の一。唐の正史。945年成立、全200巻。五代後晋の劉昫らの撰。「日本国は倭国の別種」としている。唐末の記述に不備があるとして1060年「新唐書」がつくられた。
※8 宋史…二十四史の一。宋の正史。1345年成立、全496巻。元の脱脱らの撰。
※9 元史…二十四史の一。元の正史。1370年成立、全210巻。明の宋濂らの撰。文に乱れがあることで1919年「新元史」がつくられた。
長谷川法世=絵・文
illustration/text:Hohsei Hasegawa