「味のまるい」
福岡県福津市宮司2-1-10
午前11時~午後4時 水曜定休 ラーメン500円/焼きめし550円
均一化していく地方を揶揄して「ファスト風土化」なる言葉が使われることがある。全国のチェーン店が並ぶ国道沿いの風景を見るにつけ、一面ではその通りなのだろう。それでも地方に住む者としては反論したくなる。「『味のまるい』があるでしょ」と。
店は、福岡県福津市の旧国道沿いのショッピングセンター敷地内にある。駐車場に車を止めると、もうその時点で香ばしい。においの元をたどるようにのれんをくぐると、店内は活気にあふれていた。ちゃんぽん、チキンライス、中華丼、野菜イタメ…。メニューもにぎやかで、厨房からは中華鍋の音が鳴り響く。かつては〝よくある〟食堂だったはず。だが、そうではなくなっていることに複雑な思いがこみ上げてくる。
この日は、ラーメンに焼きめしと決めていた。厨房の2代目中嶋民也さん(49)は注文を受けると、ピンっと背筋を伸ばし、卵、具材、ご飯を投入する。カン、カンっと一心不乱に鍋を振りつつ、時折目を閉じているようにも見えた。後で聞くと、「ああやって音を聞くのが心地良いのかもしれません」。
焼きめしを作る中嶋民也さん
ずっとこの場所にあるような佇まいだが、創業の地は別にあった。昭和45年、中嶋さんの父、俊東さんが旧津屋崎町の海岸近くに「まるい食堂」を構えた。元々はトラック運転手。長女誕生を機に「危険が伴う」と新たな仕事に人生をかけた。なぜ飲食なのか? 「母方の祖父母がやっていたので」と中嶋さん。母親の満子さん(75)の実家は福岡市博多区で同じ名前の食堂を営んでいた。しかも、満子さんの父親は久留米出身でラーメンを出していたという。
近くに老舗ラーメン店「宝来軒」(現在は閉店)があったこともあり、俊東さんは苦戦した。その状況が変わったのは昭和53年。「寿屋津屋崎店」の開業に合わせ、今の場所に移ったのだ。これが当たった。客が増え、メニューを増やした。屋号も「味のまるい」にした。
中嶋さんは板前の修業を経て25歳で実家に戻っている。既に人気店。「職人かたぎで、怖くて有名だった」という父親の下で働いた。骨を入れるタイミング、火加減などで「違う」と怒鳴られる。それでも一つのことを決めていた。
「反発せずに全部聞く」
その父は15年ほど前、病に倒れ、帰らぬ人となった。とにかく怒られたが、それが指導だと身に染みるようになったのは最近のこと。「自分でやるようにならないと分からない」。父親の教えを踏まえながら、今は自分なりの味を見つけつつある。
そのラーメンは素朴な見た目で、口当たりはあっさり。そこに、豚にまぜた鶏がらだしがふんわりと現れる。久留米系の継ぎ足しスープゆえの奥行きも感じられた。焼きめしは、おばあちゃんちで食べたことがあるような懐かしさがあふれる。ところどころ焼き色が付いて香ばしい。店外のにおいはこれだったのか。最後はソースをかけて平らげた。
家族、親族で営み、人手不足は常となった。親子丼、カツ丼はやめてしまった。「こういう食堂スタイルが少なくなっているから。できるだけ長く守っていきたい」と中嶋さん。
満腹で店を出る。でも、次は何を食べようか。もうそんなことを考えていた。
文・写真 小川祥平
1977年生まれ。西日本新聞社くらし文化部。
著書に「ラーメン記者、九州をすする!」。