引っ越し荷物が届いた日、父は加勢のために大分県中津市からやってきた。グレーの作業用ジャンパーに、コットンのベージュのズボン、いかにも働く格好で赤坂のアパートに現れた。一人暮らしであるから、大した荷物はない。タンスとサイドボード、14インチのテレビ、勉強机と椅子、赤の6畳用のジュータンに、卓袱台と布団が一式である。後は一間幅の本箱と本の類である。三鷹を出るとき、相当に雑誌類は処分したのであるが、本はそれぞれを捲っているうちに、いずれにも愛着が生じ、捨てることはできなかった。
もっとも荷造りに苦労したのは、コンポーネントのステレオである。東京時代、月賦で購入したもので、左右のスピーカーはパイオニアの大型床置き式、ターンテーブルはコロンビアの木製オールド・タイプ、アンプとチューナーはSONYの新機種だった。ビートルズのLPはほとんど持っており、私の唯一の宝物で、あとはレッド・ツェッペリン、ローリング・ストーンズ、ロバータ・フラッグ、チック・コリア、ビリー・ホリデー、ジャニス・ジョプリン、浅川マキ、フルトヴェングラーのモーツアルト交響曲集というところだった。
あらかた家具の配置を終えて、私がステレオの配線に取り掛かると、父はちょっと出かけてくると云って、表に出て行った。知り合いの居ない博多の夜を今日から過ごすとなれば、どうしてもステレオのセット・アップだけは終えておきたかった。寂しい心を癒すに音楽だけは必要だった。小一時間かけてコードを繋ぎ終え、試聴にビートルズの「レット イット ビー」を聴いていると、父は戻ってきた。竹製の鳥かごを抱えており、中に二羽の小鳥が入っていた。大学時代、下宿を出て、アパートで一人暮らしを始めた頃、やはり父は上京してきて、吉祥寺の小鳥屋からセキセイインコのつがいを買ってきた。そのことを思い出した。
「また鳥かい?」
「十姉妹だ。よく卵を産むぞ、しっかり粟、ヒエ、野菜をやり、毎日かごの底を掃除して水やりを怠らんよう。野菜は大根やニンジンの葉っぱでいい」
「そうは言っても、料理はしないから、葉っぱは手に入らないよ」
「なら、レタスでいいから」
十姉妹は白色のつがいだった。
「インコは、どうした?」
「一羽は逃がしてしまった。一羽は手乗りにしたんだけど、部屋の中で死んでいた。餓死させてしまったようで、悪いことをした。井の頭の池のそばに埋めて、目印に分かりやすい石を置いといた。転勤の日、お別れに行ったよ」
「こんどは大事に育てろよ」
近所の一膳飯屋で食事を済ませると、父は博多駅に向かった。
いつも鳥を飼わせる父親の心情は分かっていた。生きものがいれば、否が応でも規則正しい暮らしをしなくては死なせてしまう。私が自堕落な暮らしをしないための配慮だった。
中洲次郎=文
text:Jiro Nakasu
昭和23年、大分県中津市生まれ。
博報堂OB。書評&映画評家、コラムニスト、エッセイスト。
近著「伊藤野枝と代準介」(矢野寛治・弦書房)
『反戦映画からの声』(矢野寛治・弦書房)
新刊『団塊ボーイの東京』(矢野寛治・弦書房)
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やましたやすよし=イラスト
Illustration:Yasuyoshi Yamashita