「竜里」
佐賀県唐津市菜畑4070-2
午前11時半~午後4時 日曜定休 ラーメン550円
今月は佐賀県唐津市の「竜里」を紹介したい。前々回の大分・日田に引き続き、福岡県外になってしまったが、唐津も同じ文化圏ということでご容赦を。
九州の麺好きなら「一竜軒」というラーメン屋を聞いたことがあるかもしれない。北九州と唐津で四半世紀ずつ営業。ファンに愛されたが、平成28年末に惜しまれながらのれんを下ろした。その建物と味を受け継いだのが竜里である。
JR唐津駅から線路沿いを15分ほど歩くと、「竜里」と書かれた看板が見えてくる。近づくと、その脇に「一」という漢字の跡が残っていた。「閉店後に外された文字看板の跡ですよ」とは竜里の大将、小島康志さん(54)。看板自体は常連に譲ったというから、人気のほどがうかがえる。
「いずれは製麺もやりたい」と
小島康志さん
まずはその一竜軒の話から始めよう。創業者は宮崎真一さんと妻のミツ子さん。昭和40年、JR南小倉駅近くに店を構えた。すぐにファンがつき、人気は止まるところを知らなかったが、ミツ子さんの体調不良で平成元年に一旦休業。宮崎さんの古里・唐津に戻った夫婦は、その2年後に店を再開することになる。
一方の小島さんは、当時20代中頃で家業の製麺所勤務。そこに宮崎さんがやってきたというわけだ。「ラーメン屋をやるから」と太目でかんすいの少ない麺をつくるよう頼まれた。特注麺に合わさるのは、豚骨と鶏がらでつくった風味豊かなスープ。一竜軒の味は唐津の地でもすぐに受け入れられた。
「卸先」から「師匠」へと関係が変わったのは平成27年のこと。製麺所の設備投資直後に大口の顧客を失い、経営が行き詰まった。たまらず宮崎さんに相談すると「ラーメン屋やってみる?」。言葉に甘え、製麺業を続けながら、ラーメンの世界に飛び込んだ。仕込みや営業中の厨房に入らせてもらい、師匠の動きを頭にたたき込んだ。
忘れられない日がある。翌年の12月30日、納品で店を訪れると宮崎さんが「今日で辞める」と打ち明けてきた。夫婦はすでに70代終盤。体力的な問題もあった。年が明けると、こう提案された。「この場所でやったら?」。覚悟が決まった。製麺業から離れ、3月に竜里を始めた。「竜」はもちろん一竜軒から。宮崎さんから教えを受け、各地で活躍するラーメン職人はほかにもいることから、一竜軒があった場所として「里」を合わせた。
名店の跡地の苦労は多かったようだ。「大将の顔が違う」といぶかる人、外に出て看板を確かめる人…。それでも時に師匠に助言をもらいながら、自分なりのラーメンを追求した。
キャリアは4年を超え、厨房の姿もさまになってきた。丼の縁ぎりぎりまでスープが注がれていてワイルドな見た目。「師匠より濃い目につくっています」と小島さん。すすってみると確かに力強い。もっちりした麺がスープを運び、一体化して口に収まっていく。
たしかに武骨さ強めの竜里らしい味ではあるが、この建物で食べるラーメンには、やはり一竜軒を重ねてしまう。味だけでなく、場所も継いだ重みが一杯のなかにあった。
文・写真 小川祥平
1977年生まれ。西日本新聞社くらし文化部。
著書に「ラーメン記者、九州をすする!」。