「中華さと」
大分県日田市元町13-20
午前11時~午後3時、同5時~同9時、月曜定休
プノンペンラーメン850円
今回紹介するのは大分県日田市の「中華さと」。福岡麺人生というタイトルから外れてしまうが、福岡文化圏といわれる日田ということでご容赦願いたい。この店には何度か行ったことがあるが、ずっと気になっていたのが看板メニュー「プノンペンラーメン」の由来である。確かにエスニック風の一杯だけれど、なぜプノンペン? どこかで習った味なのだろうか? 店を訪ね、積年の疑問を思い切ってぶつけてみた。
「まずこの記事見てください。お客さんが持ってきてくれたんですよ」。店主、里末吉さん(58)は、答えを急ぐボクをかわすようにそう言い、新聞の切り抜きを手渡してきた。見てみると20年前の朝日新聞の記者コラムだった。
福岡からのお客さんも多いです」と里末吉さん
大阪に住むコラムの筆者は昭和57年頃、仏印ラーメンなるものを取材していた。その別名こそが「プノンペンラーメン」。戦時中にカンボジアにいた復員兵が現地の味を再現したもので、大阪・堺で流行ったらしい。既に復員兵は亡くなっていたが、ファン2人が味を伝承し、別々に店を出していた、と書く。
「実は若い頃、この二つの店に通っていたんです」と里さんは明かす。鹿児島の徳之島出身。高校卒業後、大阪に出て中華料理の世界に入った。プノンペンラーメンとの出合いは20代の頃。パンチがあるわけではないが、徐々にうまみが来る。そんな味わいにはまったという。
平成5年、妻の実家がある日田に移って「中華さと」をオープンしている。当初はいわゆる普通の中華料理店。1年半程がたった頃、常連客に切り出した。
「昔大阪で好きだったラーメンがあるけど食べてみる?」
大阪時代から味をまねて自分なりのプノンペンラーメンをつくっていた。その味を常連客は大絶賛。隠れメニューから始まって正式メニューに昇格。いつしか一番人気となり、店先に「プノンペンラーメン」の看板を掲げた。
ちなみに冒頭のコラムはこうも記されていた。
「後輩記者から『大分でもプノンペン食べました』と報告を受けた。どうやら、伝承者はほかにもいたらしい」
大分とはおそらく「中華さと」のこと。その頃には里さんの一杯は県外にも名が知られるようになっていた。
「二つの店のいいとこ取りかな」。そう話しながら、手際良く鍋を振る。彩り豊かで、これでもかと湯気を立ち上らせる一杯。スープは熱々。ほどよい辛み、トマトの酸味、セロリの苦み、動物だしの甘味と、多様な風味が顔を出す。気付けば汗がじわり。思わず食べるスピードが上がる。シャキシャキした青梗(チンゲン)菜、弾力ある縮れ麺の食感を楽しみつつ、途中からチリソースなど味変アイテムを投入して完食した。
店に「プノンペン通信」という寄せ書きノートがあった。めくっていくと、ここ数年は海外客の書き込みが目立つ。中にはカンボジアからの客のメッセージも。里さんは言う。
「『地元の味を思い出した』と喜ぶ人もいましたよ」
大阪で再現されたカンボジアの味を、ファンたちが受け継いだ。その一杯をカンボジアの人が味わって古里を感じる。なんとも因縁深いラーメンである。
文・写真 小川祥平
1977年生まれ。西日本新聞社くらし文化部。
著書に「ラーメン記者、九州をすする!」。