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ハットをかざして 第170話 吉行淳之介の言葉

ハットをかざして 第170話 吉行淳之介の言葉


 24歳の頃、暇に任せて小説を書いた。

 当時、小説新潮が毎月巻末で30枚ほどの掌編小説を募集していたからだ。しかも選者が私が最も尊敬する吉行淳之介だった。

 30枚なら、一息一晩で書けると意気込んだ。会社ではまだコピーライター見習いであり、そう大きな仕事も回ってこない。その鬱憤も晴らしたかった。吉行の「薔薇販売人」を読みこみ、文体を模倣踏襲した。原稿用紙に吉行の通りに、主人公のキャラ付け、状況説明、改行から、会話体、場面転換の方法を会得しようと引き写しに引き写した。まるで写経である。写しているうちに自分が吉行に変貌していく醍醐味が分かった。

 学生時代に付き合っていたT音大ピアノ科の娘との交流を描いた。私が光化学スモッグで駿河台の坂で倒れ、そばの日大病院に担ぎ込まれ、その一週間の入院の話である。彼女は毎日病室に訪れ、体を拭いてくれたり、尿瓶を変えたり、少し良くなってからの病院屋上での密会の様を、淫靡寸前の筆致で描いた。

 彼女は来るたびに花を一輪買ってきた。安物の透明花瓶に花が増えていった。インターンのハンサムな先生が、「君の所にお見舞いに来てる人、美人だねえ」と褒めてくれた。切り込みの一行目に傾注し、中盤の屋上でのドラマ、最後のドンデンの着地の二行に腐心した。掌編だけに箱書きを作る必要もなく、シーンは病室と屋上とだけに限定した。会話の少ないものとし、心模様を中心に描いた。文体は吉行調、読点、句読点は「点・点・丸」のリズムで50文字前後、長くて60文字でワン・センテンスが終わるように心がけた。場面転換は一日の光と陰で顕わし、接続詞は一切不可とした。接続詞を使うと、文章が説明臭くなり、どうしても幼稚なものになるからだ。メリハリとして、シーンによっては淡彩的に描き、濃密なシーンは油絵的に描いた。

 学生が終わる頃、彼女とも終わった。「私をしっかり抱きしめてないと、私、どこか行っちゃうわよ」の言葉を残して、大学の夏の演奏旅行に行き、同行した別の男性を好きになったとのことだった。また戻って来るのではないかと思っていたが、二度と戻ってくることはなかった。完成してから、緻密な推敲をした。文体も整え、文字面も漢字、平仮名、カタカナの並びの美くしさを考えた。

 一か月後、雑誌を買い求め、真っ先に巻末を見たが、私の作品ではなかった。最終ページのコラムに吉行の講評があった。その中に、「中洲くん、小説は作文とはちがうんだよ」云々の一文があった。相当にストーリーもドラマも、文体も錬磨したつもりだったが、まだ作文の域だった。

 会社で、先輩のコピーライターが雑誌を見たらしく、「吉行さんに褒められていたな」と寄ってきた。「いや、褒められてませんよ。まだ作文ですよ」「そうかなあ、俺には見どころがあるから、ちゃんと精進しなさい、という風に読めたがなあ」

 貶なされてはいたが、少し嬉しかった。


中洲次郎=文
text:Jiro Nakasu
昭和23年、大分県中津市生まれ。
博報堂OB。書評&映画評家、コラムニスト、エッセイスト。
近著「伊藤野枝と代準介」(矢野寛治・弦書房)
『反戦映画からの声』(矢野寛治・弦書房)
新刊『団塊ボーイの東京』(矢野寛治・弦書房)

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やましたやすよし=イラスト
Illustration:Yasuyoshi Yamashita

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