手書き年賀状を作ってみた
人は思いを残すことなく死にたいと願っているはずだ。年を重ねるごとに、そう思うようになった。ちょっぴり重たい話から始めてしまったが私が手書き年賀状に取り組むようになったのは以下のような理由からだ。
五十代前半で脳梗塞になった。担当医からは「薬が効けば後遺症は残らない」と言われたが発症後に入院してから右腕から右半身全体にしびれが始まった。しびれが徐々に進行し、右半身に麻痺が残るかもしれないと一時は覚悟した。集中治療室の中で、何日も思索を巡らせるしかなかった。なぜか気にかかったのが会社の机の中にしまっていた取材メモだった。字が汚く自分でも判別できないことがあった。もし死んでいたら遺品整理の時に、人に見られたら恥ずかしさのあまり成仏できないと思った。
職場復帰し後遺症は傍目には分からないほどだった。一方で、机の中の汚い字のメモはそのままだった。一念発起して書道教室に通い始めた。ただ、通った教室の先生がやけに厳しかった。曰く「字を使って、美を追求するために書を学ぶのです。一生かかって研鑽を積んでください」と言われて稽古に励んだ。今も励んでいる。
同時に先生のおかげで字に対する心構えも変わった。美意識も変化した。以前なら細い線の〝前衛芸術〟にしか見えなかった良寛の書にも美を感じるようになった。しかし、せっかく習った技を冠婚葬祭の袋だけに使うのはもったいない。
というわけで何年か前から手書きの年賀状を作るようになった。「年賀状じまい」といって、その年で年賀状をやめると最後の年賀状を送る人も多いと聞く。私もそんな賀状をもらった。だが、なのである。半世紀ぶりに同窓会で再会した初恋の人や飲み友達には送っておきたいものだ。手書き年賀状の本を参考に市販の筆ペンで書いた。「そんな簡単にできるわけないだろう!」って、だれか言いました? いいえ、何度も練習すれば書けるようになります。これって、私の師匠の口癖ですが……。
少し気が早いけど「ぐらんざ」の読者の皆さまへ、手書き年賀状を書いてみました
文・写真 岡ちゃん(岡田雄希)
元西日本新聞記者。スポーツ取材などを経験し、現在ブログやユーチューブなどに趣味や遊びを投稿し人生をエンジョイするぐらんざ世代。