「長浜ナンバーワン祇園店」
福岡市博多区祇園町4-64
11:30〜24:00(金土曜は25時、日曜は22時まで)
◎ラーメン550円 替え玉120円
僕にとって思い出の屋台といえば福岡市の長浜鮮魚市場そばにあった『ナンバーワン』だ。20代の頃によく訪れた。安く飲めるし、〆のラーメンもおいしい。県外の友人を連れて行くととても喜ばれた。
「その頃ちょうど私もいましたよ」。屋台から始まり、今や国内外に店舗展開する同店の2代目、種村剛生さん(53)はそう話す。言われてみると確かに種村さんの姿を覚えている。そして隣には創業者の男性がいたことも。
その男性とは初代の竹中忠勝さん(73)。中洲の飲食店で働いていた竹中さんが昭和46年に『昇龍軒』として創業した。近くの有名店『元祖長浜屋』がまだ屋台だった時代。最初は苦労した。だが「長浜屋台で一番になりたい」との思いで『ナンバーワン』と屋号を変え、味も改良しはじめてからは徐々に人気となった。
長崎県出身の種村さんは、昭和の終り頃に大学を卒業し、福岡市の会社に就職した。その会社の先輩に連れて行ってもらったのが既に繁盛店になっていたナンバーワンだった。「感動の味だった」とファンとして通い、竹中さんとも顔見知りになっていた。
転機は30歳に差し掛かる頃。交際中の彼女と結婚を間近にし、父親の職業を聞いて驚がくの事実を知ることになる。「それがナンバーワンだったんです。全然知らなくて…」。
当時、バブルは崩壊し、景気も上向かない。いっときは会社員を続けたが、34歳で脱サラを決意した。皿洗いから始め、仕入れ、仕込みを手伝い2、3年経つとスープを触らせてもらえるようになった。平成17年にのれん分けをしてもらい、ナンバーワン祇園店として独立した。
以来、経営の才覚を発揮し、天神、博多駅、箱崎と数年で店舗を拡大している。最初は「のぼせるな」と厳しかった師匠も「もう大丈夫」と認めてくれた。その後、竹中さんが体調を崩したため、2代目として屋台の経営も引き継いだ。屋号は『長浜ナンバーワン』に変えている。
冒頭で「思い出」と書いたのは、既にその屋台はないからだ。平成25年に施行された福岡市屋台基本条例により営業許可の更新ができなくなり、その2年後に屋台を畳んでいる。最終日は病気療養中の竹中さんも店に立ち、種村さんや常連客に見守られながら「涙の花道」を飾った。
最後に一杯を頂いた。かつてはワイルドな印象だったが、豚骨のフレッシュなだしが心地よい。細麺との絡みもよく、一気に完食。これぞ長浜ラーメンだと思う。
「屋台の頃より確実に進化していますよ」。種村さんはそう言う。思い出は簡単に美化される。しかし、目の前の一杯は決して美化されることはない。言葉の裏にそんな矜持が垣間見えた。
種村剛生さん
文・写真 小川祥平
1977年生まれ。西日本新聞社文化部記者。著書に「ラーメン記者、九州をすする!」。KBCラジオ「川上政行 朝からしゃべりずき!」内コーナーで毎月第1月曜にラーメンを語っている。