新型コロナウイルスが流行して、カミュの『ペスト ※1』を読んでみた。ロビンソンクルーソーを書いたデフォーの『ペスト ※2』も読んだ。『細菌と人類 ※3 ― 終わりなき攻防の歴史』も読んでみた。
ふたつの『ペスト』は発表に225年のへだたりがあり、不条理哲学者と厚い信仰者によるドキュメンタリー風小説ということで対をなしている。『細菌と人類』はペストからはじめて、コレラ・腸チフス・破傷風など、16種の細菌と研究者の戦いの記録だ。この三冊を読んでみてわかったのは、伝染病は解決策が見つかるまでは終わらない、という当りまえの結論だった。『細菌と人類』に書かれた「チフスのメアリー ※4」という悲劇の女性が忘れられない。
さて、博多の流行病は疱瘡にかぎらずチフス・赤痢・コロリ(コレラ)などがあった。博多の町家は、間口が平均2間から4間と狭くて、中庭の便所と井戸が近いせいもあり、チフスや赤痢が発生しやすかった。明治になると福岡市は東公園に大きな井戸を掘って飲料水を確保した。許可を得た給水人が水を仕入れ、荷車に水桶を積んで博多に売りに来た。水桶1個分の1斗5升が明治40年で1銭5厘だった。井上精三著『博多郷土史辞典』の「松原水(まつばらみず)」の項目に書いてある。
また、同本の「博多人形」をみると、疱瘡よけの「笹(ささ)の才蔵(さいぞう)※5」人形のことが書いてある。
江戸時代のなかごろ、博多人形はまだ素朴な土人形で、笹の才蔵・女達磨・鳩笛・娘人形・武者人形などが作られていた。そして、笹の才蔵は、裃・袴すがたの猿の人形で、疱瘡よけのまじないだと説明してある。
ネットで笹の才蔵を検索すると、古型(ふるがた)博多人形として復活していた。
また、今宿人形・津屋崎人形・赤坂人形の才蔵人形もあった。裃・袴すがたは子どもや若者になっていて、猿は抱かれたり手をひかれたりしている。名称も笹野才蔵となっている。
日本での疱瘡流行最古の記録は天平7年(735)で、それからWHOが1980年に天然痘の消滅宣言をするまで、じつに1245年間も、日本人は疱瘡に悩まされてきた。疱瘡が地球上で絶滅したあとも、才蔵人形がつくられているのは、おまじないの効き目が、疱瘡だけでなく病気全般へと拡大したということかも。それなら新型コロナウイルスにも霊験があるかもしれないな。
※1 カミュの『ペスト』…仏小説家・思想家のアルベール・カミュの小説。架空の都市を舞台に、ペストの流行という不条理な運命と人間を描いた。デフォー『疫病年日誌』をヒントに、神の不在を書いたのではないだろうか。宮崎嶺雄訳・新潮文庫。
※2 デフォーの『ペスト』…平井正穂訳。中公文庫。ダニエル・デフォーは英ジャーナリスト・小説家。1665年のロンドンでのペスト流行を素材に1722年刊行。原題は『疫病年日誌』で、邦訳名『疫病流行記』もある。
※3 細菌と人類…ウィリー・ハンセン、ジャン・フレネ共著。渡辺格役。中公文庫。
※4 チフスのメアリー…米調理人メアリー・マロンは無症状の保菌者。1906年最初の6人をはじめ、数年の間に22人を感染させ1人を死亡させた。隔離されて3年後に就労許可が下りたが、やはり周囲で罹患者がでて、3か月後に再び隔離。それからメアリーは亡くなるまでの23年間、床や実験器具の清掃技術者として施設内で暮らした。本人の意思と関係なく生涯で51名にチフスをうつし、うち3名の死亡者がでたという悲劇の女性だった。69歳没、合掌。
※5 笹の才蔵…可児吉長(かによしなが)、通称才蔵。戦国から江戸初期の武将。柴田勝家・明智光秀・前田利家・織田信孝・豊臣秀次・福島正則などに仕えた。戦では笹の指物を背負って戦った。常にたくさんの敵の首を討ちとるので、腰にぶら下げられない首には、笹をくわえさせたという。笹の才蔵と呼ばれる由縁だ。
長谷川法世=絵・文
illustration/text:Hohsei Hasegawa