80歳の妻は昨年11月、高熱と震えで緊急搬送され、ステージ4の「がん」で余命半年弱と宣告されました。以来、私は毎日、病院に妻を見舞ってきましたが、先月初めから食欲がなくなり、点滴でカバーする状態です。
心配が募る日々が続く中、新型コロナウイルスの感染拡大に伴って、病院から妻との面会を断られました。結婚して57年、働きづめだった私に代わって子ども3人を育て、両親の介護に尽くしてくれた妻です。何とか見舞ってやりたい。感染の終息を心から願っています。(福岡県太宰府市、男性86歳)|
3月10日付の西日本新聞朝刊「テレホンプラザ」に届いた悲痛な声だ。私の友人も入院中で、同じように面会が出来ない状態が長く続いたので、このご夫妻のその後がとても気になっている。
避病院―。と言っても、ご存じない方が多いに違いない。幕末から明治にかけて大流行したコレラの専門施設で、全国各地につくられた。名前から分かるように、感染防止のために外部との接触を「避」け、患者を完全隔離していた。
私のジョギングコースにも戦後間もなくまで建っていたことを最近、地元の古老から教えられた。遺体焼却炉と墓地が併設され、ここに収容されたら娑婆には2度と戻れないとささやかれた。
近代化を急ぐ青年期の日本を無残に蚕食した病毒に結核がある。
呼吸すれば 胸の中にて鳴る音あり 凩よりもさびしきその音
(石川啄木『悲しき玩具』)
明治45年3月、啄木は母を結核で失い、4月には自らも26歳で同じ結核で命を奪われ、やがて妻節子も結核に斃れる。
東北の山村から上京した青年啄木の暮らしを捉えて離さなかったのは結核であり、貧窮と放浪が病勢を駆り立てた。
天然痘、梅毒、ペスト、チフス、コレラ、インフルエンザ、エイズ…。こうした感染病の歴史を注意深く読み進むと、私たちは次のような気付きをするのである。
一つの文明、一つの社会はそれ自体が特有の悪疫を持ち、いずれも文明および社会の変動期に発生し、その文明、社会の姿が変わるに伴って減退、制圧されていったことを―。
新型コロナウイルスの感染を抑え込んでも、やがて別の病毒が必ず生まれる。病原菌は文明と社会の中に伏在しており、常に出番をうかがっている。その意味で、文明と疫病は抱き合わせの深い関係にある、といっていいのだろう。
(ジャーナリスト。元西日本新聞記者)
馬場周一郎=文
text:Shuichiro Baba
幸尾螢水=イラスト
illustration:Keisui Koo