永利牛乳(本社・太宰府市)の社長長谷川敏さんはFBS福岡放送の元記者だった。私とは福岡県警で切磋琢磨し合った「サツ回り」仲間である。新型コロナウイルスが猛威を振った春先、その長谷川さんをTVで頻繁に見かけた。
永利牛乳は製造量の約7割が学校給食向けで、9市3町の小中学校など約250校に1日12万本(200ミリリットルパック)を出荷していた。ところが、一斉休校のあおりで業務はストップ、苦境に陥った。
この窮状に太宰府市の楠田大蔵市長がふるさと納税での支援を表明、古くからの永利ファンもエールを送った。苦難の時を経て、いま、長谷川さんの顔には昔の柔和な笑顔が戻っているに違いない。
長谷川さんのTVでの話を聞きながら私の中に沸いてきたのは、農産物や牛乳など「いのち」をつなぐ品々への感謝の念だった。
生産者は丹精込めた汗の結晶を日々、私たちに届けてくれる。だが、人口減少の時代、競争は厳しく、天候不順や台風・水害で不作、あるいは豊作過ぎて採算割れし、折角の生産物を廃棄せざるを得ないこともある。断腸の思いだろう。
災害の発生で真っ先に不安に駆られるのは、暮らしを支える日用品、食料品などが手に入るかどうかである。経済学の原則では、価格は需要と供給のバランスで決まる。需要が多く供給が少なければ価格は上がり、需要が少なく供給が多すぎると安くなる。
しかし、こと生活必需品に関してはパニックで一時的に品不足が起き、たとえ不心得者が転売しても、正規のマーケットで値段が10倍とか20倍に急騰はしない。これは我が国の生産体制と物流システムの素晴らしさゆえである。
しかし、こと生活必需品に関してはパニックで一時的に品不足が起き、たとえ不心得者が転売しても、正規のマーケットで値段が10倍とか20倍に急騰はしない。これは我が国の生産体制と物流システムの素晴らしさゆえである。
現代日本では、人間が生きていくうえで不可欠のものだからといって値段が高いわけではない。多くの生活必需品は、納得いく安定した価格で並べられている。他方、投機的商品は乱高下し、時に一部の人にバブル的利益をもたらす。
だが、非常時に金や原油でひと儲けしようと、価格変動が気になって夜も眠れない人は日本では少数だ。人々が殺到して買い求めるのは生活必需品であって金融商品や奢侈品ではない。
日ごろは、売り場にあふれ返る商品を当たり前の光景として見ている私たちだが、ひとたび災害に見舞われると、それは当たり前ではなくなる。災厄は起きて欲しくないが、「真に必要なもの」「本当に大切しなければならないもの」は何かを時として気づかせてくれる。
(ジャーナリスト。元西日本新聞記者)
馬場周一郎=文
text:Shuichiro Baba
幸尾螢水=イラスト
illustration:Keisui Koo