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長谷川法世のはかた宣言105・大博

長谷川法世のはかた宣言105・大博


 たしか、冷泉(れいぜん)小学校 ※1 の3年生か4年生の時(65年前!)、はじめて「お芝居」を観た。演劇初体験は大衆演劇だった。

 春休みだったろうか、家でぼんやりしていると、母がなにを思ったか、「どっか遊びに行こうか」といった。「うん」というと、「どこか行きたいとこあるね?」ときく。そこで、「大博に行きたい」と答えて、お芝居を観に、大博劇場へ行くことになった。大博も芝居もはじめてだった。

 大博劇場は大正9年(1920)開場。九州一の劇場といわれ、杮(こけら)落としは関西歌舞伎の名優中村扇雀(二代目鴈治郎 ※2)だった。

 たいていの人は今でも大博劇場と言わず、「大博」と呼ぶ。そのころ、大博通りとは大博劇場前の道路の名前だったのだ。聖福寺から浜へ伸びる東町筋 ※3 の、追い山でただ一か所、山笠が坂を駆け下りる、あの場所だ。いまは大きなマンションが建っていて、隣は大島眼科、斜め前にはみやけうどんがある。

 いまの大博通りの名称は、昭和44年に市制施行80周年を記念して決められたそうだ。センターラインの並木は、いまは背の高いヤシだけれど、最初は丈の低いフェニックスだった。フェニックスが植えられたのは、大昔から何度も灰燼に帰しては不死鳥のように蘇った博多のイメージにふさわしいから、というふうに記憶している。

 子どものころ入った大博は、嘉穂劇場(収容人員約1200名)とほぼ同規模の、本式の芝居小屋だった。その平場(ひらば)のまん中あたりの升席に、母とふたりほぼ独占という感じで「お芝居」を観たのはぜいたくだった。ほかにお客は10人くらいだったろう。国定忠治を期待したが別の演(だ)し物が三本あったと思う。もう昔のことで、筋も場面もおぼえていない。大歌舞伎を呼んだ大劇場で、最初で最後の観劇が大衆演劇だった。

 ちなみに歌舞伎をはじめて観たのは、中洲の玉屋デパートのホールだった。高校の時にチケットを貰って観たけれど、まるで素養がなかったし、ちんぷんかんぷんだった。こちらも、役者さんの名前、演目ともに記憶にない ※4。

 大博はその後、昭和40年あたりに映画館に転向した。映画館の座席数として1372席が記録に残っている。いまのシネコンの座席数と比べると大きさがわかるだろう。

 昭和47年(1972)、大博は52年の歴史に幕を下ろした。昭和44年の道路愛称事業で、今の「大博通り」が制定されたとき、大博はまだ存在していたのだった。

※1 冷泉小学校…櫛田神社のとなり。人魚伝説による「冷泉の津」が校名の由来。平成10年4月、冷泉・奈良屋・御供所・大浜の4校合併、博多小学校発足により廃校。
※2 二代目鴈治郎…市川崑『炎上』・小津安二郎『浮草』・黒澤明『どん底』など、映画でも活躍した。『浮草』には、二・二・三の手打ち(博多と同じ)のシーンがある
※3 東町筋…現・東流区域。東町筋から西へ、呉服町筋(現・大博通り)・西町筋・土居町筋の4本を(南北の)たて筋と呼ぶ。
※4 記憶にない…昭和51年『博多っ子純情』の連載が始まっての締め切り人生で、それまでの記憶を半分は無くした。決して老病ではない!


長谷川法世=絵・文
illustration/text:Hohsei Hasegawa

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