
鳥たちも飛んで来る
今年も金木犀がリビングに芳香を運んでくれた。いつもの散歩道に咲き誇っていたオレンジの花はすっかり散ってしまったが、甘い残り香を鼻の奥に蘇らせながら朝な夕なに歩いている。
だが、その芳しさも嗅ぐ人によっては悲しい香りとなる。横田めぐみさんの両親、滋さんと早紀江さんは四年前の秋、次のような書き出しの手紙を支援者に送ったそうだ。
「今年もまた、めぐみのいない金木犀香る頃となりました」
めぐみさんの誕生日は10月5日。金木犀の花が咲きそろう頃である。そして花が散り、香りが終えた後には、めぐみさんが13歳で北朝鮮に拉致された11月15日がやってくる。
そのめぐみさんはすでに50歳。この9月、新潟の同級生たちが再会を誓うコンサートを開き、会場にはめぐみさんの席も用意された。
「翼をください」を合唱する同級生には50歳相応の風貌が刻まれていた。だが、その後ろの2枚のパネルには、13歳のめぐみさんが変わらずにいた。
未来、夢、そして家族の笑顔を奪い取り、時の流れを停止させた拉致とはあまりにむごい犯罪である。
赤子の時は肌を離すな
幼児の時は手を離すな
子供の時は目を離すな
少年の時は心を離すな
時折、立ち寄る定食屋さんの壁に飾ってある色紙である。書店には子育て本が山のように積んであるが、この色紙を目にして以来、子供に接する親の心構えと愛の本質を教えられたような気がしている。
滋さん、早紀江さんを遠くから拝見して思うのは、お二人の誠実な人柄、めぐみさんへの慈愛、奪還への強固な意志である。だからこそ、日本人のだれもが拉致を我が事とし、ご夫妻の言葉に涙するのだろう。
お二人は、非情な独裁国家によって愛娘との「肌を離され」「手を離され」「目を離され」たが、決して「心は離され」てはいない、のである。
「翼をください」を聞き終えた早紀江さんは「どんな色の翼でもよいから本当に帰ってこられる翼を与えてください」と語った。
そう言えば、金木犀の別名は九里香と言い、原産地の中国では千里先まで届くとの言い伝えがある。
願わくば、金木犀の香りを翼に乗せてめぐみさんのもとへ届けたい。早や晩秋、鳥たちももうすぐ北の空から日本に飛んで来る。
(ジャーナリスト。元西日本新聞記者)
馬場周一郎=文
幸尾螢水=イラスト