
やまない雨はない
妻に先立たれたとき、残された夫にはどんな思いが去来するだろうか。
お天気キャスターとして一世を風靡ふうびした倉嶋厚さんは「不安。悲しみ。後悔。罪悪感」だったという。
奥様が、がんで亡くなったのは’97年6月。入院からわずか24日後の急逝だった。『やまない雨はない~妻の死、うつ病、それから…』(文春文庫)に当時の心境を綴つづっている。
― 私をまず襲ったのは「後を追いたい」という衝動だった。次に後悔の波の連続。「あのとき別の方法をとっていれば」「もっとこうしてあげれば…」。後悔の種は尽きることなく延々と私を責め立てた ―
間もなくうつ病と診断される。喪失感、そして日常生活の急変。あらゆることが妻の存在なくしては成り立たない暮らしだったからだ。妻を失って以来、孤独、虚しさ、焦燥という吹雪のような天気図が心の中に広がり続けた。
遺書を書き、自宅マンションから飛び降りようとしたものの果たせなかった。入院、闘病生活。だが、周囲の応援を得て次第に回復していく。
― 人生は季節の移ろいに似ている。晴れたり曇ったり、降ったりやんだりの毎日を積み重ねながら巡っていく。「やまない雨は降ったことがない」との言葉があるように、永遠に続く晴天もなければ、終わりのない悪天もない―。
これが、長い苦しみの末にたどり着いた結論だった。
倉嶋さんの別の著書に『季節の366日話題事典』(東京堂出版)がある。
その中で、倉嶋さんは「風の3月と雨の4月が美しい5月をつくる」という英語の諺ことわざを紹介している。厳しい風雪に耐え抜けば、その後に訪れる陽光は一段と輝きを増す、と。
夫婦とは実に不思議な巡り合いである。人生の数ある交差点を右に行くか、左に行くかで、いま横にいる伴侶は別人だったのだから。
詰まるところ、夫婦はお遍路の同行二人どうぎょうににんではないか、としみじみ思う。しかし、その道はいつも平坦なわけではない。
心が通い合わなくなったり、病苦、貧窮、事故といった試練にさらされることも少なくない。伴侶との死別は必ず訪れ、残された者は悲嘆の海を彷徨ほうこうする。
誰しも生きていくことが辛くなるときがある。死の誘惑に引き込まれそうになるときもある。だが、「もう駄目」と思ったその瞬間にこそ口にしてほしい。「降りやまぬ雨はない」という言葉を。
「美しい5月」は、悲しみを乗り超えた人に優しい日差しを惜しみなく与えることだろう。
馬場周一郎=文(ジャーナリスト。元西日本新聞記者)
幸尾螢水=イラスト