麻雀無頼
大学二年の終わり頃、週刊大衆で「麻雀放浪記」の連載が始まった。筆者は阿佐田哲也(別名・色川武大)である。毎週、積込みの技が書かれている。一年先輩のNのアパートで実践練習をする。大学の正門を左折して直ぐに「武蔵野クラブ」と云う雀荘があった。学生たちは昼過ぎに集結して深夜まで打つ。東京組は家から通っているから少々負けても飯は食えるが、仕送り組は常に背水の陣である。負ければ肉体労働に行くしかない。
この小説を手本にして、積込みの腕を磨く。先ずは「元禄積み」、自分の山に合わせて、上ツモ下ヅモに欲しい牌を市松格子のように仕込む。てっとり速い「爆弾積み」も即座に積み、表ドラ、裏ドラまできちんと仕込んでおく。賽コロの振り方も稽古する。置き賽(サイコロ)をまるで振ったかのように見せるため、手をオーバーに振り、相手の目を晦ます。あとはお互い符牒でサインを出し合い、欲しい牌を台の下から融通し合う。
大学ではほとんど負けることはなかった。
ある日二人で、新宿歌舞伎町のフリー雀荘に乗り込んだ。腕と度胸試しである。四十歳前後の一人は濃紺のスーツでオールバック、精悍な眼をしている。一人は長袖の白の開襟シャツ姿で五分刈り、頬のこけた蒼白い顔をしていた。精悍な方が、「セイガク?(学生)」と訊ねるから、黙ってうなずくと、「学生さんのルールとレートでいいよ」 と鷹揚に云う。
「完先(完全先付)でピン、半荘キャッシュ、馬なしでいいですか」とNが応える。
ピンとは日ごろの三倍のレートである。学生は千点30円くらいで打っている。それでも学生にとっては高い方だ。ピンとは千点100円である。もし箱テンになれば、3000円が飛ぶ。40年前の3000円は今の1万5000円に相当する。半荘キャッシュとは勝負一回ごとにお金を清算するやり方。持ち金が無くなれば、そこでお仕舞いと云う決まりである。話は決まった。男二人は「完先では打たないから、どうもなぁ」と苦笑いしながら打つ。こちらにツキがあり、仕込技を使う必要もない。深夜の12時が来た。二人で二万、互いに一万ずつは勝っていた。
「セイガク、今まで君たちのルールに合わせたから、こんどは俺たちのルールでどうかなぁ」と、また精悍が問いかける。蒼白い方は煙草を吸い続け終始無言である。
勝っている手前、何も云えない。頷くと、「ブーマンなんだけど、いいかなぁ」と続ける。Nは一瞬たじろいだが、すぐに気を取り直し受けた。ブーマンは完先とは正反対のルールである。役なしで上がれるうえに、喰いピンもあり、フリテンも捨て牌以外なら当れる。四十男二人は水を得た魚のように蘇る。夜中の三時くらいには勝っていた額をすべて吐き出し、4時40分の一番電車の頃には、お互い一万円づつ負けていた。途中何度も積み込みを仕掛けようとしたが、学生相手とは違い、二人の得体が知れず仕込めなかった。
夜明けの歌舞伎町を二人蹌踉と歩いた。駅のトイレでギットリとした顔の脂を洗い落とす。鏡の中の顔に落胆の乾いた嗤いが浮かんだ。
中洲次郎
昭和23年、大分県中津市生まれ。
博報堂OB。書評&映画評家、コラムニスト、エッセイスト。
RKB毎日放送「今日感テレビ」コメンテーター。
近著「伊藤野枝と代準介」(矢野寛治・弦書房)
新刊『反戦映画からの声』(矢野寛治・弦書房)