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ハットをかざして 第85話

ハットをかざして 第85話

中洲次郎=文 やましたやすよし=イラスト


大家のパトロン

新しいアパートの大家さんには3人の娘がいた。上が中3、中が小6、すそが小4である。大家がヴァンプ風なわりには、よくお嬢さんに育てられていた。三人共にものごしに品があるのである。父親のいない暗さはみじんもなく、週末に訪れる大家のパトロンらしき男にも懐いていた。

男は40歳半ばくらいで、大手の土建会社に勤めていた。いつも黒の立て目のベンツでやってくる。大家とは信州からの幼馴染と聞いた。この男が、大家の離婚の慰謝料で土地を手当てし、そこに二棟のアパートを建て、母子四人が食べていけるようにしたらしい。

その日、上の娘がうちでご飯を食べないかと部屋に誘いにきた。大家のリビングに通されると件の男がソファーにドッカと坐り、ステテコ姿でワインを飲んでいた。大家から簡単な紹介があり、また自ら詳しく自己紹介をした。

「中津と云えば、福沢諭吉だね」と問う、
「ふつうなら慶応だよね」と絡む。

酒がまわってるなと思い、慎重に間合いをとって答える。

「ちょっと高校時代に遊びすぎたもので」しっかり眼を見据えて答える。

「大分の田舎町でも、遊ぶところがあるの」とまた絡む。

「ええ、飲み屋街も大きいですし、ダンスホールも喫茶もたくさんありますからね」

「中津って、学問の町かと思ってたが、そうでもないんだね」

「いえ、私はダメでしたが、文遊両道のいい城下町です」

「文武両道でなく、文遊か、面白い」

そこで空気は変わり、男は相好をくずし始めた。福沢以外に中津には誰かいないのかとなり、一気に夜桜銀次の話をした。8年前、私が中1の時、博多で射殺されたと云うと、さすが土建業だけあって、九州対神戸の話は知っていた。子供の頃、彼を見たことがあると云うと、非常な興味をもつ。夏は生成りの上下のスーツに白のパナマを被り、白と灰色の蛇革のバンド、靴は白のエナメルで紐の左右にやはり蛇革があしらわれていた。冬は黒の上下のスーツに、つば広の黒のソフトを被り、バンドは凹凸のある鰐皮、靴は黒の尖った靴でやはり紐の左右に鰐皮が施されていた。色白の優男でオシャレで、いつもいい女を連れていたと云うと、顔は知らないが名前は知っていると云った。

因みに、これから4年後、夜桜を主役にした映画ができた。「山口組外伝・九州進攻作戦」(山下耕作監督)、夜桜には菅原文太が扮した。映画の中に中津も出て来るし、私が育った日の出町も出てきた。

男には夜桜の話から妙に気に入られ、彼が来るたびに、リビングに呼ばれるようになった。男のバックアップでありがたいことに三人姉妹の家庭教師をすることになった。家賃8000円とのバーターである。おかげでアパート代はただとなり、母からの仕送りを下げることができた。

中洲次郎
昭和23年、大分県中津市生まれ。
博報堂OB。書評&映画評家、コラムニスト、エッセイスト。
RKB毎日放送「今日感テレビ」コメンテーター。
近著「伊藤野枝と代準介」(矢野寛治・弦書房)
新刊『反戦映画からの声』(矢野寛治・弦書房)

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