クボセン
クボセンは東銀座の中小企業会館で講座を開いていた。久保田宣伝研究所コピーライター養成講座、略してクボセンと呼んでいた。ほぼ同世代の暗そうな若者たちが生徒である。初回、50人ほどが思い思いの席に着く。少し遅れて到着したせいか、前の方しか空いてない。前の方は女性たちが陣取っている。仕方なく、群れから一人離れて座っているボブヘアーの女性の横に座った。人間と云うものは、おおむね最初に座った席が定席となる。二回目も、三回目も同じところに座る。ボブ嬢もいつも同じ席だった。お顔立ちは当時で例えれば女優の赤座美代子と云ったところだった。
四回目に、自分は吉祥寺からだが、どこから通っているか訊ねると、荻窪からと云う。学校を訊ねると「ソフィア」と答える。私はソフィアと云う学校を知らず、東京のミッション系のお嬢様学校だろうと、曖昧に分かったふりをした。五回目は、実践コピー講座だった。講師の名はKさんだったと覚えている。課題は俳句の兼題の如くその場で出た。「富士山の見える別荘分譲」だった。30分で一人10本提出と云われる。脳裏に富士山を浮かべ、まるで別荘の住人になった気分で3Bの鉛筆を握る。
「我が家の庭には富士がある。」
「富士をひとりじめ。」
「富岳借景」
「日本一の山が見える、日本一の別荘地」
「週末は芙蓉の人。」
「標高1300mの別荘地」
「別荘じゃない、終の棲家だ。」
「毎朝富士のご来光が拝めます。」
「月夜の富士が、また美しい。」
「富士の麓で羽を休めよう。」
ふと視線を感じ横を見ると、ボブ嬢が覗きこんでいる。「よくそんなに書けるのね…1本も書けない…」とため息をつく。小声で、「頭の中に富士を浮かべて、人間の目か、鳥の目か、虫の目になって、書くんだよ」とアドバイスする。それでも彼女は茫然としている。時間はまだ20分もある。彼女の分まで考えることにする。
「どの窓からも富士が見える。」
「太宰治が生きてれば、きっと住んでる。」
「ここには富士が良くにあう。」
「軽井沢の上を行く、富士の別荘地」
「私は妻子から逃げたかった。」
「富士は鎧を脱がせてくれる。」
「キリマンジャロの雪、富士の雪。」
「人生を振り返る、富士の雪。」
「お風呂からも富士が見える。」
「銭湯の富士じゃない、本物の富士だ。」
走り書きにして彼女に渡した。彼女は清書し直して提出した。
K講師は約500本を30分でチョイスし、黒板に10本を書きだした。私のは1本も採用されず、彼女に渡したのが3本選ばれていた。名を呼ばれるごとに彼女は頬を赤らめながら起立し皆の拍手を浴びていた。
中洲次郎
昭和23年、大分県中津市生まれ。
博報堂OB。書評&映画評家、コラムニスト、エッセイスト。
RKB毎日放送「今日感テレビ」コメンテーター。
近著「伊藤野枝と代準介」(矢野寛治・弦書房)
新刊『反戦映画からの声』(矢野寛治・弦書房)