3時2分になった。
父はおもむろにインターホンに手を伸ばし、姓名を名乗り、訪問の趣旨を伝えた。奥さんはドアを走り出て、門柱の所まで迎えに来た。
「まあ、遠いところを、さあさ、どうぞ」
と、招き入れられた。玄関の三和土は一坪ほどであろうか、父と同じように靴を脱ぎ、靴をそろえ、式台を上がる。先ほどの白衣の人のズック靴も脇に揃えられていた。式台には大きな木を輪切りにしたのであろうか、何やら漢文が彫り込まれた衝立が置かれていた。
応接間に通された。革張りの茶のソファーが3人座り2脚と、1人座り2脚置かれ、中央には大きな暖炉が構え、奥のコーナーにはBARカウンターが設えてあり、後ろの棚には沢山の洋酒やリキュールが並んでいた。
奥さんが紅茶とケーキを持ってきた。父は立ち上がり、田舎土産を差し出した。
「お口に合わないでしょうが…」
「まあ、御珍しいものを、ありがとうございます。さぞ、重かったことでしょう」
と紅茶を出しながらねぎらう。
「ちょうど今、マッサージさんが見えましてね。施療中なんですよ。ちょいとお待ちください」
と少しすまなそうに云って、部屋から消えた。
父との約束時間に合わせて、マッサージを呼んでいた。幼馴染、九州の田舎から夜行で重たいお土産を抱えてきた男と、マッサージ師が天秤に掛けられた。私は父の横顔を見ながら、父の心中を察した。
20分が過ぎた。怒りが増してきた。
「お父さん、帰ろうか」
「…………………」
「お父さん、帰ろうよ」
「まあ、待て」
と、父は押し殺した声で云う。
30分が過ぎた。
「お父さん、帰ろうよ」
「…………………」
「お父さん、もう、いいよ」
「まあ…待て…」
再び父は私を静かに制した。
40分が過ぎた頃、Hは白のバスローブの上に焦げ茶のシルクのガウンを羽織って入ってきた。
「やあ、ヤス(保雄)ちゃん、待たせたなぁ。すまん、すまん、ちょうどマッサージが来てなぁ、いやー、すまん、すまん、失礼した」
父は直立でこれまでのご無沙汰と、今回の訪問を伝えている。
私は父の畏まったスーツ姿に、ガウンで応対する男を苦々しく見つめていた。二人はしばらく、田舎の事や、その他の幼馴染たちのこと、村の住職のことや、恩師たちの話に花を咲かせていた。父は熊本第6師団の野砲兵で体は分厚く頑丈なのだが、Hは父よりもまた一回り大きい男だった。BARからウイスキーらしきものを持ち出し、その琥珀の液体をショットグラス3個に注いだ。ラベルには白い馬の絵があった。
Hはグラスを私の前に置きながら、「うちに入りたいのか」と突然訊いてきた。
中洲次郎
昭和23年、大分県中津市生まれ。
博報堂OB。書評&映画評家、コラムニスト、エッセイスト。
RKB毎日放送「今日感テレビ」コメンテーター。
近著「伊藤野枝と代準介」(矢野寛治・弦書房)
新刊『反戦映画からの声』(矢野寛治・弦書房)