就職、自力でやると父に見栄を切った手前、何か情報はないかと
大学の就職相談室に顔を出す。沢山の募集貼り紙は有るが、我が大学は金融関係が多く、マスコミは少ない。
自身、経営学科であるが、どうも金融系は気が乗らない。
税理士・会計士志望のゼミであるから、教授推薦も金融一筋。友は皆、銀行、信託銀行、証券、保険を受けまわっている。
数字は苦手である。バランスシートや損益計算書を見ると、その会社の真実の姿が透けて見え、数字の向こうに人間ドラマまで浮かぶと云うが、私には見えない。
私は見切った。
今更、金融に鞍替えする気はないが、出版は諦めようと臍を決めた。
5社ほど落ちたが、私は1社たりとも落ちたとは思っていない。
作文は各社とも高評価をもらった。まだ1社も落ちてないと不遜な自己暗示をかけ、いつか私を落とした会社を見返さなくてはと、相談室へ入った。
幸い広告業界はまだこれからだった。
当時は指定校制度の時代で、当大学が指定校に入っている広告会社の入社試験概要を揃えてもらった。D社、H社、A社、M社、DK社、DI社、Y社等など。
マスコミ志望者の本を見ると、広告は「新聞、放送、出版」の次、業界のしんがりである。
しんがりは「殿」と云う字を書く。
意外や意外、広告は実はマスコミの「殿様」なのかもしれない。
就職担当が、各社の大学OBを書き出す。訪ねるようにアドバイスを貰うが、どうも気後れして訪ねなかった。
先ずD社から受ける。筆記論文が原稿用紙3枚、「マーケテイングにおけるAIDMA論について述べよ」と云うものだった。コピーライター養成講座に通っていたから、AIDMAを「アイドマ」と読むことは知っていたが、中身については一切無知だった。
仕方なく、AIDMAを「愛と間」としゃれて論を展開した。
「物を動かすには、まず愛が必要である。売り場で例えてみよう。お客様が入ってくる。いらっしゃいませの声を優しく掛ける。
目が合えば、満面のスマイルでどうぞごゆっくりとアイコンタクトする。世界中どんな街でも成功している華僑の言葉がある。
『笑顔の無い商売は商売ではない』、笑顔こそが愛の第一表現である。そして、間を取る。直ぐには寄っていかない。
自由に店内を見て頂く、動いていただく。お客様がこちらを見てからゆっくりと間を詰めていく。まずお客様のファッションや、バッグやアクセサリーをほめる。バッグや荷物が重そうであれば直ぐにお預かりする。会話が生じだす。
徐々に心が通い始める。商品は惜しみなく広げる。心が通えば物は動く。売ると云うことを一切考えない。丁寧で謙虚で間のある話法に徹する。
AIDMAとは、『愛と間』、買ってくださいではなく、この店をこの商品をこの私を好きになってくださいだ。
広告にマスはない。すべてマンツーマンこそが、マーケットを創る」と書いた。
見事に一次で落ちた。
AIDMAとはもっと理屈っぽい理論だった。
中洲次郎
昭和23年、大分県中津市生まれ。
博報堂OB。書評&映画評家、コラムニスト、エッセイスト。
RKB毎日放送「今日感テレビ」コメンテーター。
近著「伊藤野枝と代準介」(矢野寛治・弦書房)
新刊『反戦映画からの声』(矢野寛治・弦書房)