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ハットをかざして 第116話 井の頭散策

ハットをかざして 第116話 井の頭散策

中洲次郎=文 やましたやすよし=イラスト


井の頭恩賜公園は、懐の広い佳い公園である。夜はアベックばかりで、日比谷公園と同じく目のやり場に困る。なまじ一人で散策していると、アベック達よりも清潔な若者に警官は職務質問をする。解せない。どこから侵入してくるのか、時々、パトカーが現れ、池の周りを一周する。

よって独り身としては、昼間の井の頭を楽しむ。京王帝都井の頭公園駅口から足を入れ、南側の人気のない道をブラリと散歩する。昔はよく武者小路実篤先生と遭遇したが、この頃はあまり牟礼の娘さんの家には来ないようだ。しばらく歩いて、右へ弁天橋の方へ曲がる。弁天橋の中央の踊り場で池全体を見渡す。緑に包まれた気持ちの良い景色である。春はすべて桜に包まれて、池面はピンク色の雲に浮いているように見える。

また歩を進める。武蔵美の連中がイーゼルを立てて、さかんにスケッチをしている。

「井泉亭」という古い茶店がある、甘酒を頂き、天上を仰ぐ。爽やかな身も心も洗う風がソヨロと吹き抜けていく。次は北側の道を歩く。吉祥寺駅方向に石段を上がると、「いせや」という店がある。ここで焼き鳥3本くらいと、小ジョッキでビールを楽しむ。明星学園の女生徒たちが下校中である。そうだ無着成恭先生はお元気だろうか。そう、子供電話相談室の無着先生である。当時、明星学園にいらっしゃった。

子供の頃、先生が著した「山びこ学校」(今井正監督)という映画を観た。無着先生に名優木村功が扮していた。山形の山の中の貧しい村の中学校の、先生と生徒たちのお話である。

修学旅行のシーンが忘れられない。旅館である生徒がどうしても布団では寝づらいようだ。
「先生、眠れん」と云う。布団の外で寝ていいかと云う。家が貧しくいつも板張りに茣蓙や筵で寝ている子供だ。布団なんかに寝たことがない。貧しさのせいで、布団の柔らかさを知らずに育ったのだろう。ふかふかの布団の幸せを知らない貧しさがしみじみ伝わった。我が家も引揚者の家で、私も似たような境遇だったが、まだせんべい布団にくるまっていた。戦後の先生たちは優しさと情けがあり、みんな無着先生のようだったと思う。

目を転じると、池の西側はマンションがあり、風情がない。店を出てすぐに同伴喫茶がある。これもなんだか興覚めである。

しばらく吉祥寺駅方向へ足を進める。三叉路に出る。右へ行けば吉祥寺駅南口である。今日は就職してから着用する背広を買いに行くつもりで来た。よって左に曲がる。曲がるとすぐに丸井という店がある。デパートではないが、デパートのようなものである。月賦を「クレジット」と言い換えてくれた店だ。月賦はなんだか店員さんに言うときに肩身が狭いが、クレジットなら云いやすい。仕送りの学生にはありがたい店で、学生証だけで12回払いくらいの分割にしてくれた。

確かにキャッチフレーズ通り、「マルイはみんな駅のそば」だった。

中洲次郎
昭和23年、大分県中津市生まれ。
博報堂OB。書評&映画評家、コラムニスト、エッセイスト。
RKB毎日放送「今日感テレビ」コメンテーター。
近著「伊藤野枝と代準介」(矢野寛治・弦書房)
新刊『反戦映画からの声』(矢野寛治・弦書房)

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