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ハットをかざして 第127話 許されない愛

ハットをかざして 第127話 許されない愛

中洲次郎=文 やましたやすよし=イラスト


同じアパートに音大生の女性が引っ越してきた。大家のおばさんが学生たちを集めて、親睦のパーティを開いてくれた。みんなが持ち芸や持ち歌を出すと、彼女は故郷の唄と言って、「金比羅船々」を歌った。流行り歌が多い中で、民謡は目立ち耳に残った。その夜から彼女を意識するようになった。彼女はピアノ科の学生だった。日々の行動を見ていると、夕刻4時過ぎに井の頭公園駅を降りてくる。長い髪を風に翻して、B4版の楽譜本を胸に抱き、スキップをするように戻ってくる。センター分けの長い髪で、そうカルメン・マキの髪型である。いつもマンシングのポロシャツに白のミニスカート、コンバースのスニーカーを履いていた。

私は彼女の帰宅時間に合わせて、京王帝都電鉄に吉祥寺駅から乗り込み、偶然を装った遭遇を目論んだ。

夏が秋に動くころ、吉祥寺のJAZZ喫茶でお茶を飲むようになり、映画へ行くようになり、ボーリングにも一緒に行く仲となった。

ただそれ以上のことはなかった。夜に彼女の部屋の部屋を訪うこともしなかった。もし懇ろな仲になれば、必ず責任を取って嫁にしなくてはならないと思っていた。

秋が冬に動くころ、彼女から音大のダンパ(ダンスパーテイ)に連れていかれた。他の同級生たちもボーイフレンドを連れていた。私はVANの一張羅のスーツに身を固め、彼女の肩身が狭くならないように振舞った。ただ、私はダンスが踊れない。ダンスタイムはカウンターの片隅で一人ハイボールを飲んでいた。何度も踊ろうと誘われたが、自信がなく、無様な自分を想像し、頑なに意固地なまでに拒んだ。

彼女は卑屈な私に嫌気がさしたのか、次から次といろいろな男たちと踊り始めた。帰ろうかなと逡巡しながら、毅然と帰ることもできず、ダンスホールという荒野に蹲っていた。

以来、わだかまりが出来た。前のように頻繁に付き合うことも無くなった。冬が春へ動くころ、彼女は卒業演奏旅行に出かけた。日本各地を回って二週間後、船は横浜港に戻ると聞いていた。それから二日間、彼女の行く方は杳と知れず、アパートには戻ってこなかった。悪い妄想だけが脳裏をよぎった。私は暗闇に目を凝らし全身嫉妬に包まれていた。

草臥れ果てて、彼女を待つ気力が失せた。ちゃんと付き合っている訳ではないが、別れる決意をした。そう決めると、すっと憑き物が落ちて心が楽になった。禅語でいうところの「前後裁断」である。3日目に戻って来た。咎め立てする仲でもなく、普通の会話をした。急にこのアパートを出ていくことになったと告げられた。別れの朝、1.5トンの小さなトラックが来た。

背の高いにしきのあきら似の男が荷物を運びこんでいた。アップライトのピアノは専門業者が運び出しており、何も手伝うほどのことはなかった。にしきのは歯の白い如才ない男だった。私も精一杯の笑顔で彼女を見送った。トラックのラジオから、ジュリーの「許されない愛」が流れていた。

私もそれから一週間後、太宰治が昔住んでいた辺りに引っ越した。

中洲次郎
昭和23年、大分県中津市生まれ。
博報堂OB。書評&映画評家、コラムニスト、エッセイスト。
RKB毎日放送「今日感テレビ」コメンテーター。
近著「伊藤野枝と代準介」(矢野寛治・弦書房)
新刊『反戦映画からの声』(矢野寛治・弦書房)

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