ゼミは公認会計士や税理士を狙うコースだった。全員で12名いた。私を含めて3名は落ちこぼれで、あと9名は学部の総代を取りそうな、優秀な学生ばかりだった。流行りの長髪もいず、皆アイビーカットの刈り上げた短髪で、服装もポロシャツにVネックのセーター、ベージュ系のチノパンツ、靴はコインローファーで、靴下はアーガイル模様。典型的なお坊ちゃんスタイルだった。3人の落ちこぼれは、パンタロンGパンに、ラグラン・スリーブのブラウス、短めの横縞のニット・ベスト、コルクの船底の靴を履いていた。
すでに税理士試験に合格した者、何科目かを通過した者もいた。公認会計士試験に挑戦し、1回目はダメだったが、要諦はつかんでいる者もいた。教授が公認会計士の試験官だったので、いろいろな情報が有利に働いていた。
このゼミに入ったのは間違いだった。財務諸表や会計学に一切興味を持てなかった。税法や商法は面白かったが、次第に落ちこぼれた。優秀組全員が銀行、信託銀行、生保、損保といった金融関係に就職を決めていた。私だけは、ゼミからすればお門違いの広告会社に内定をもらった。あと2名は豪の者で就職活動をせず、悠然と漫然と学校に来ていた。
一人は女と同棲しているのか、吉祥寺の街を連れ添って歩く姿をよく見かけたが、声はかけなかった。
ある日、その友はシベリア鉄道に乗るといい、ウラジオストックまで船で渡り、ウラジオからナホトカへ行き、ナホトカから目的のシベリア鉄道に乗ったと聞いた。もう一人はアメリカを徒歩で横断するといって、船で太平洋を渡っていった。当時、小田実の「何でも見てやろう」や小澤征爾の「ボクの音楽武者修行」に影響を受けていた。長髪を切って、急に良い子になって、企業回り、先輩回りをすることを恥じていた。この二人にはみな敵わないものを感じていた。
シベリアの友は1ヵ月ほどで帰ってきた。長髪に顎髭を蓄え、マルクスのような顔つきで戻ってきた。アメリカの友はまったく戻ってこなかった。よく知る友が向こうで皿洗いか何かをし、ビザが切れる頃には一度カナダに出て、またアメリカに再入国を続けていると聞いた。そんな流浪の若者がアメリカには沢山いると聞いた。一度はロスで刺され大変な目にもあっているとも聞いた。食えない時は、教会に行き、救世軍から食事を恵んでもらっているとも…。私にはぜったい出来ない人生に踏み出していた。
一流銀行に決まった友より、税理士試験に合格した友より、この二人に劣等感を持った。シベリアの友はまた件の女と井の頭公園を歩き、JAZZ喫茶の片隅でバーボンをあおり、タバコを喫っていた。西岡恭蔵の「プカプカ」な仲を感じた。♪オレのあん娘は タバコが好きで いつもプカプカプカ♪、いつも漂いながら、プカプカ生きている奴ら。
オレは正しいのだろうか、オレは間違ってないのか、オレはこれでいいのか、オレはこのままでいいのだろうか。その夜は足が立たないまで飲んで、公園のベンチでコオロギと一緒に寝ていた。
中洲次郎
昭和23年、大分県中津市生まれ。
博報堂OB。書評&映画評家、コラムニスト、エッセイスト。
RKB毎日放送「今日感テレビ」コメンテーター。
近著「伊藤野枝と代準介」(矢野寛治・弦書房)
新刊『反戦映画からの声』(矢野寛治・弦書房)