長谷川法世のはかた宣言4

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11月11日は音二郎忌なので、今回は貞観時代からちょい引越し。
「女優」は明治時代に生まれました。江戸時代初頭の女歌舞伎禁止以降、女性の歌舞伎役者は消滅していました。
ですが、時代劇で追われる男が旅回りの女役者一座にかくまわれるっていうのはなんなんでしょうねえ。お狂言師という、大奥や大名の奥向き専属の女性の役者はいたんですが。
それはともかく明治になると、西洋には女形はいない、女は女が演じるべきだと演劇改良派が論じはじめました。新聞などが歌舞伎役者のことを新時代らしく「俳優」とよびはじめ、また「女役者・女俳優・女優」ということばが実体より先に誕生しました。
女役者では、元お狂言師の市川久女八がトップ。開明的な九世市川団十郎と競演したりして、漢学者で劇評家・劇作家の依田学海なんかは本邦初の女優といっています。けれどもやっぱり、国際的に認められ新演劇のスターとなったわが貞奴こそが、日本初の女優であるというのが定説です。
で、日本初の女優養成所というと、はい、日本初の女優貞奴がつくった「帝国女優養成所」です。音さんとともに欧米の俳優学校を見学し、日本にもぜひ必要だと決心してつくりました。久女八は守住月華という女優名で川上一座の舞台にも立ち、養成所の講師にもなったんですよ。
さあ、帝国女優養成所の開所式は明治41年(1908)9月15日。場所は東京の大場理髪店の二階。所長の川上貞奴と一期生15名(13名とも)はじめ、来賓には株式会社帝国劇場の重役たち、財界の大御所渋沢栄一男爵・大蔵財閥創始者の大蔵喜八郎・電力王福沢桃助などが出席しました。なぜ帝劇の重役かというと、養成所の出身女優は帝劇に出演する約束があったからです。養成所は帝劇から補助を受け、2年間の生徒の月謝は不要でした。養成所はのちに「帝国劇場付属技芸学校」となります。
養成所は、本によっては理髪店の二階ってことでお粗末だと書いていますが、音貞コンビが並みの開所式をやるはずがありません。この大場理髪店はのちに初の宮内庁御用達御調髪係「天皇の御理髪師」になった由緒正しい「本格西洋理髪店」なんです。一般料金が15銭なのに1円。2年後には1円50銭。いきつけの理髪店で大場理髪店のことを聞いてみてください。ネットにホームページもあります。残念ながら養成所のことは書かれていないようですが。
日本初がいっぱいの音貞コンビによる女優養成所は、はい、本格西洋理髪店の2階ではじまり、新演劇の新女優たちが誕生。けれど、一期生たちは世間の冷たい風にさらされます。名家から応募した森律子は出身校跡見女学校の同窓会から除名され、一高生の弟は級友にからかわれて自殺するという悲劇。俳優や女優がとんでもなく差別されていた時代でした。

■参考資料
「日本現代演劇史 明治・大正編」大笹吉雄:白水社
「川上音二郎・貞奴 新聞に見る人物像」白川宣力:雄松堂出版
「学海日録」学海日録研究会編:岩波書店
「日本史大事典」小学館

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