
扶桑最初禅窟(ふそうさいしょのぜんくつ)(日本最初の禅寺)である博多の聖福寺はショウフクジと読みます。聖福寺を開いたお坊様は栄西さんで、おおかたの教科書にはエイサイと読み仮名がつけてあるようです。けれど、栄西さんはずうっとお寺でヨウサイとよばれているので、最近は教科書にもヨウサイと書かれたものが多くなったそうです。
また、承天寺は博多山笠の発祥でおなじみですが、ジョウテンジと読みます。開山は円爾(えんに)さん、のちの聖一国師で、ショウイチコクシと読みます。新米のタクシー運転手さんや転勤族の人などはよく間違いますねえ。
同じ漢字なのになぜ読みかたがちがうのかというと、漢字には音読み・訓読みがあって、そのうえ音読みには漢音・呉音ってのがあるからです。町の字をマチと読むのは訓読み、チョウと読むのは音読みです。さらに、チョウは呉音で、漢音ではテイと読むそうです。
聖をセイ・ショウ、栄をエイ・ヨウ、承をショウ・ジョウとよむのは、前者が漢音、後者が呉音というちがいです。はい、栄西さんの西の字は(漢)セイ(呉)サイですね。ヨウサイさんと読めば呉音で統一されます。
漢音は遣隋使・遣唐使で日中交流がすすんで、平安時代(794年~)から主流になった読み方。呉音はそれより古く、552年とかに仏教がはいってきた時代からの中国南方系の発音のようです。呉音はもう日本になじんでいたので、漢音に対して和音ともよばれました。
で、ずうっとくだって明治になり、いろんな用語に漢語があてられました。川上音二郎はオッペケペー節で皮肉っています。
「亭主の職業は知らないが/おつむは当世の束髪で/言葉は開化の漢語にて/晦日(みそか)の断り洋犬(かめ)抱いて/不似合いだ/およしなさい/オッペケペ…(以下後述*)
「開化の漢語」は皮肉です。明治政府は鹿鳴館のように欧化政策を進めながら、憲法や法令に漢語ばかりをつかいましたからね。
晦日の断り以下は、女房が借金取りに断りをいれるのに洋犬を抱いているという西洋かぶれを茶化しています。洋犬をカメというのは、幕末・明治初期に外国人が犬にcome hereというのを、カメや、といっているものだと日本人は聞きちがえたんですね。
幕末維新に日本では、西洋語を共和制や民主主義とかに訳したけれど、これは漢語ではなく漢字を使った日本製の造語だそうです。
ところで、人魚寺で有名な博多の龍宮寺では、飯尾宗祇の博多百韻にちなんで10月に連歌の会を催しますが、連歌は和歌なんですね。和歌は大和ことばだけで詠まなければなりません。
正月に行われる宮中歌会始は、いまは和歌ではなく短歌での募集ですから、漢語も片仮名もOK(洋語だ!)なんですけどね。
*(オッペケペー節の続き)…なんにも知らずに知った顔/無闇に西洋鼻にかけ/日本酒なんぞは飲まれない/ビールにブランデベルモット/腹にも慣れない洋食を/やたらに食うのも負け惜しみ/内緒でそっと反吐ついて/真面目顔してコーヒー飲む/おかしいね/オッペケペッポー ペッポッポー