「地獄門」*1）という映画をご存知ですか。
主演は、長谷川一夫と京マチコ。遠藤盛遠（えんどうもりとお）と、袈裟御前（けさごぜん）の役です。歌舞伎の演目なんですが、映画は菊池寛の小説を原作としています。芥川龍之介も「袈裟と盛遠」*2）という実験的小編を書いています。
物語は、人妻の袈裟御前に遠藤盛遠が横恋慕。無理やり迫る盛遠に、袈裟は想いを遂げたいなら夫を殺してという。深夜、忍び入った盛遠が手にかけたのは、夫の身代わりとなった袈裟。愚かさを悟った盛遠は出家し、文覚上人（もんがくしょうにん）となった、というもので、「源平盛衰記」が原典です。
だから、この映画って、音貞*3）が欧米ツアーで演じた「遠藤武者」とおなじだったんです。
１９００年のパリ万国博で上演された、音貞の「遠藤武者」は、盛遠役の音さんが袈裟を斬ったあと、立腹（たちばら）を切ることで大評判になりました。
米人女性舞踊家で興行主のロイ・フーラーさんが、観客は「ハラキリ」を見たがっている、なんでもいいから腹切（はらきり）を見せろと強引にやらせたんです。
…元よりこっちは好んで演りたくはないが、注文となら商売だ。お望み通り腹を斬って見せようと言うと、
「其では血の沢山流れ出るように、出来るだけ凄く演って貰いたい」
「よろしい」
というので、トウトウ盛遠先生に、立腹を切らせることと相成った。（「世界の檜舞台を踏みし川上と貞奴」*4））
フーラーが言うには、維新のときの堺事件*5）以来、フランス人は切腹に興味をもっているからということで、「遂に一日の興行回数が、二回から三回、三回から四回とまでなって、後は平均三千弗！
フーラーのお婆さん、腰を抜かして喜んで居た」（同記事）。
盛遠が切腹してしまったら、文覚上人には誰がなるんだというところですが、話を知らないフランス人たちは、スタンディングオベーションのうえ、帽子まで振って誉めてくれたと音さんは語っています。
「地獄門」は１９５３年公開。翌年カンヌ映画祭でパルムドールを受賞。半世紀前の音さんの腹切の衝撃が、余韻として残っていたことでしょう。
*1）地獄門…衣笠貞之助脚本監督・原作菊池寛「袈裟の良人」。第27回アカデミー外国映画賞、衣裳デザイン賞も同年受賞（衣裳・色彩監修和田三造／修猷館中学中退。代表作「南風」）。
*2）袈裟と盛遠…大正７年「中央公論」発表
*3）音貞…音二郎貞奴に目覚めた人はこう呼ぶ。
*4）中央新聞・明治34年１月６日～３月６日連載。藤井宗哲編著「音二郎・貞奴自伝」三一書房所収
*5）堺事件…慶応４年、堺警備の土佐藩兵と仏水兵の衝突事件。仏水兵11人が死亡。維新政府は20人の処刑を命令。死亡水兵と同数の11人が切腹したところで、９人を残してフランス側から中止した。森鴎外「堺事件」、大岡昌平「堺港攘夷始末」
