
手一本入れて博多の蝉しぐれ 陶瓜法世
博多山笠の最終日、追い山が終わると町ごとに直会をします。終わって、今年の最後の山笠の手一本を入れたわけです。みんなと来年の再会を約して中土居町の詰め所を出て、土居町交差点に出ると、明治通りの街路樹からいっせいに蝉しぐれが降り注いだんです。
これ、今年だけではありません。毎年そうなんです。山笠が終わって夏が来る、といわれるんですが本当なんですね。今年はもう梅雨は明けていたんですが、蝉は山が終わってからなんです。アトリエのある古門戸町辺りでもそうなんですよ。追い山の地響きで、蝉も目を覚ますんですかね。
蝉しぐれと書いて、長谷川時雨を思いつきました。時雨さんは明治12年生れの劇作家・小説家・女性運動家です。明治の女性たちを書いた「明治美人伝」は代表作の一つです。中に「マダム貞奴」があります。もちろん音さんの妻、貞さんの事です。
でもね、これが気に入らないんです、私は。貞さんは音さんと死別して、福沢桃介と同棲するんですが、そのことを非難がましく書いているんです。ちっとも美人に書いてないんです。愛情がないんです。そんなら書くなよ、といいたいくらいなんです。
桃介さんは日本初のダム式発電所である大井発電所などを建設して電力王と呼ばれた人で、福沢諭吉の婿養子として次女ふささんと結婚しています。
貞さんはその桃介さんと同棲しているんですから、女性運動家の時雨さんとしてはほめるわけにはいかないんでしょうが、一方では柳原白蓮や平塚らいてうも「美人伝」に書いていて、こちらは非常にすばらしい人として書いているんです。白蓮さんは駆け落ちしたんですよね。伊藤伝右衛門と再婚したあと、7歳下で宮崎滔天の息子の宮崎龍介との不倫ですが、当時では姦通罪ですからね。でも伝右衛門さんは姦通罪には訴えませんでしたね。白蓮さんは華族を除籍されますが、夫と仲むつまじく昭和まで暮らしました。姦通罪といえば北原白秋は人妻との不倫で姦通罪に問われましたね。
平塚らいてうさんは、作家の森田草平と塩原心中未遂事件を起こし、のちには5歳下の奥村博史と内縁関係になり、子供を私生児として育てるなど、こちらも活発な人生でした。女性解放に一生を奉げた人です。
時雨さんも「雪之丞変化」を書くことになる三上於菟吉と同棲、於菟吉さんを「日本のバルザック」とよばれる大作家に育てあげますが、夫の女遊びに苦しんだそうです。こちらは12歳下。
貞さんは岐阜県鵜沼の木曽川沿いに、建坪130坪あまり、部屋数25室のおしゃれな別荘を建てます。お金は桃介さんが出したといわれていましたが、最近土地売買の謄本が見つかったそうです。贈与ではなくはっきり売買と書いてあるそうです。妾と言われたんですが、しっかりと独立した女性でした。
ともあれ、明治生まれの女性たちのたくましさには脱帽するほかありません。