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長谷川法世のはかた宣言52・官兵衛の大志

長谷川法世のはかた宣言52・官兵衛の大志


関白秀吉は黒田官兵衛(孝高)に対して、めっちゃ文句をいってる。

《『…あまつさえ汝[官兵衛]はキリシタンになっただけでは満足せず[日本]諸国の君侯や貴人たちに対して、キリシタンの教えを聞いて洗礼を受け、当初抱いていた[日本の]神々への信仰を捨てるように盛んに説教し説得し続けて来たのであるから、汝に国を与えるわけにはいかぬ』と言い、さらに彼に対して幾多の罵詈雑言を浴びせかけた》(フロイス日本史 )※1

なんてややこしい文章だろうか。それはさておき、黒田家臣の貝原益軒さえも「黒田家譜 ※2」にこう書いている。

「秀吉は孝高と兄弟の約をなし、かたわらに置いてその謀を用い…ついに天下を草創したまう事、ひとえに孝高の功なれば、その恩賞莫大なるべきに、孝高の大志あるを忌みたまい、そのうえ石田治部少輔[三成]等の権臣も、孝高の高才ありて、我にへつらはざるをそねみて、時々讒をかまえければ、その功は大なりといへども、ついに大国を賜はらず」

秀吉はそれでも官兵衛に豊前8郡のうち6郡を与えたのだけれど、フロイスも益軒も豊前8郡を大国ではないといっている。讒をかまえるとは人をそしって陥れること。三成さんたらどんな讒をかまえたんだろ。それよりも官兵衛さんの「大志」とはいったい?

官兵衛の家臣である久野四兵衛が冬の町割をやったのは、「町割つかまつり候えと、天下(秀吉)より官兵衛殿まで仰せ渡され」たからであるという(豊前覚書)。でも、この秀吉の町割計画 ※3がいつごろたてられ、いつ官兵衛に命じたのかが不勉強でわからない。命じた手紙や定書なんかもまだみていない。

で、大胆な憶測ではあるけれど、もし、冬の町割が秀吉のしらない、官兵衛の独断だったとしたら(ドキ!)。そうすれば、豊前覚書以外の文献が、冬の町割のことを書かなかった謎もとけるというものだ。

独断の町割をしった石田三成はおおいに悪口をいっただろうな。それを聞けば、秀吉は怒るだろうな。問いつめられたら官兵衛さん、唐御陣 ※4は迅速が肝要とこころえ天下様のため良かれと思い官兵衛一存にて、なんて言い訳したのかな。

もし、独断の町割だったなら、目的はとうぜん博多の貿易力。官兵衛は、自分が一国の主になったならその国中をキリシタンに ※5する、と宣教師に語っている。姪浜にいた足利義昭 ※6も日本中をキリスト教にするといってたなあ。官兵衛さん、キリシタンとなって宣教師・博多商人と組んで南蛮貿易を掌握。それが「大志」?それとも島津氏と同じ「九州全域」か? そのもっと先の「天下」だったのか?とまあ、マンガ家の習性ですぐストーリーをつくっちゃうんです、一存で。

*1)日本史…完訳フロイス日本史4 246頁。237頁にも 松田毅一・川崎桃太訳/中央公論新社。《 》内は翻訳原文のまま。[ ]内長谷川。

*2)黒田家譜…貝原益軒・歴史図書社    「 」内引用は長谷川が漢字・読み仮名など現代風にアレンジ。

*3)秀吉の町割計画…天正15年5月9日付薩摩から大阪城の老女こほ宛の秀吉の手紙に「廿四五日頃には、筑前の国博多へ越し、大唐・南蛮国の船付にて候まゝ、城を丈夫に申しつけ…」とある。(桑田忠親「太閤の手紙」講談社学術文庫)

*4)唐御陣…天正14年には秀吉は明国遠征を表明していた。その兵站基地として博多を整え、城を築こうとしていた(こほ宛手紙)が町割のとき博多が遠浅で大船の入港が無理とわかり、肥前名護屋城を築いた。

*5)国中をキリシタンに…「完訳フロイス日本史11」52頁。官兵衛の「一国」を賜る期待も書かれている。「同書4」100頁には、中国人をすべてキリシタンになるよう命じる。また将来日本人の半ばか、大部分がキリシタンになろうと、秀吉が語ったことが書かれている。

*6)足利義昭…完訳フロイス日本史4 192頁

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