本サイトはプロモーションが含まれています。

長谷川法世のはかた宣言60・儺の字・娜の字

長谷川法世のはかた宣言60・儺の字・娜の字


海賊が博多津を襲来して年貢を奪うという事件があった。日本三代実録※1 貞観11年(869)12月14日の条。

「新羅の海賊船2艘が筑前国那珂郡の荒津に到来して、豊前国の船から年貢の絹綿※2 を掠奪して逃げた」

これは海賊の記事として4回目。最初のは、5月22日の夜、海賊船2隻が『博多津』に襲来したという大宰府の報告だ(6月15日条)。海賊のことは別に考えることにして、ここでは博多津と荒津をテーマにする。

新羅の海賊の事項は10回以上ある。最初のは『博多津』と書かれ、つぎからは、『筑前国那珂郡荒津』とされている。海賊襲来の場所を、はじめは広域の博多湾で示し、後に荒津という狭域地点に絞ったのだろう。すると、この荒津は西公園下のことになる。

ならば前回、荒津は博多湾全域のことではないか、荒津に大船は停泊したのかという(ボクたちの)疑問、また、博多湾の古称に関し、荒津も含めて、津と大津※3 に分けられないかという(ボクたちの)提案は旗色が悪くなってしまった、ね。

そこでこんどは古称のうち、儺津・儺大津※4 の儺という文字に注目してみる。辞書で、儺は1.おにやらい。2.おだやか・たおやかの意という。おにやらい(追儺)は疫神を追い払う行事で、豆まきの源。防諜防疫を職務とする大宰府の外港にふさわしい文字だ。疫神を追いはらっておだやかな津。また、波静かでおだやか・たおやかな博多湾のようすをあらわしているようだ。

この儺津・儺大津は「博多郷土史事典」から引いたのだけれど、あれこれ※5 ざっとめくっても他の書には見当たらない。儺の字は儺縣(県)として日本書紀の仲哀紀にあり、娜大津は斉明紀に出るのだが。

娜の字の意味は、しなやか・たおやか・なよなよとして美しいさま、と漢語林にいう。斉明天皇が女帝だから、那津のナを女偏の娜にしたのだろうか。もしかすると天皇みずから娜の字を選んだのかもしれない。天皇は大土木事業などを好んだというから、文字を楽しく選ぶくらい当然かも。

で、問題は、海賊の襲来が荒津ということだ。たおやかな博多津(娜大津)の中の荒津。そんな荒津に大船が停泊したのだろうかという前回までの疑問は残るけれど、一夜漬けの勉強で考えてもしかたがない。荒津の件はとうぶん保留にしておこうっと。

「日本史年表※6 」をめくっていてひょいと気づいた。この年表の事項はすべてに出典の略称が書いてあるんだ。娜大津の記事では[紀]、新羅海賊の件は[三実]というぐあい。巻末の出典一覧を数えてみたところ、1183※7 あった。[紀]は日本書紀30巻、[三実]は日本三代実録50巻のことだ。だから1183冊ではなく1183種と数えたほうがいい。で、それらをですね、超速読で1種1か月※8で読むとするとですね、98年かかる、だよね。

*1)日本三代実録…ここでは「読み下し日本三代実録」武田祐吉・佐藤健三共訳/戎光祥出版から現代語意訳。

*2)絹綿…くず繭で作った真綿の一種。

*3)津と大津…博多湾の古称は、那津・那大津・博多大津・筑前大津・儺津・儺大津・筑紫大津・荒津など。これを津だけの名称と大津の付いた名称に分けて、津群は仮称住吉の江を、大津群は博多湾を示すと考えられないかと、前回書いた。それより那群=住吉の江と、那以外=博多湾に分類するほうがいいかも。

*4)儺津・儺大津…井上精三「博多郷土史事典」葦書房にあるが、出典は書かれていない。

*5)あれこれ…日本歴史地名大系・福岡県の地名/平凡社・福岡県百科事典/西日本新聞社・石城志/津田元顧・石城遺文/山崎藤四郎など。

*6)日本史年表…東京学芸大学日本史研究室編・東京堂出版・増補4版。近世近代の事項には出典は書いてない。

*7)1183…1回しか数えていないので正確ではない。

*8)1種1か月…岩波文庫「日本書紀」は全5巻。10年前に買ったのをようやく読み始め、1か月以上
かかって1巻目を通読するところ。全巻読了はいつのことやら。

関連するキーワード


長谷川法世のはかた宣言

最新の投稿


発行元:株式会社西日本新聞社 ※西日本新聞社の企業情報はこちら