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長谷川法世のはかた宣言82・大坂表

長谷川法世のはかた宣言82・大坂表


 前回紹介した『島井宗室』という伝記本は、島井家に伝わる『島井宗室日記』などをもとにして書かれている。ところが、著者の田中健夫※1氏は、「島井宗室日記」について、「『大坂表』などという言葉があり」信憑性に疑問があると書かれている。30年前に読んだが、大坂表のなにがいけないのかいまだにわからない。もしかして大坂という地名がなかったのだろうか?

 地名「大坂※2」は1498年の文献が初出。真宗中興の祖蓮如の手紙だ。「当摂州東成郡生玉之庄内、大坂トイフ在所は…」と書いている。宗室日記の大坂表は、前回紹介したように1568年と1579年だから、大坂という地名はすでに存在する。問題は「表」のようだ。表とは?
 
 おもて=❷向いている方向。その面。③(地名などと合して)そちらのほう。もと。「国―」「江戸―」(広辞苑)
 
 例語※3の国表は藩の全体、江戸表は日本の中心都市だ。③「地名などと合して」という説明だと、地方の土地名とあわせて、博多表・姪浜表・大坂表などもOKと思えるが、例語にないので判断保留だ。大坂が日本の中心になった年を、秀吉の大坂城築城開始の1583年と考えると、宗室日記の大阪表1579年※4は、まだ大坂が地方都市だったからダメなのか。てなわけで、この30年間「表」とみるとメモるくせがついた。

・福沢諭吉『福翁自伝』岩波文庫。「私儀大阪表緒方洪庵の許に砲術修行に…」54頁
・森鴎外『大塩平八郎・堺事件』岩波文庫。「土佐藩は堺表取締を免ぜられ、兵隊を…」※592頁、「白籤組には堺表より船牢を以て国元へ差し下す…」97頁他
・大岡敏昭『武士の絵日記』角川ソフィア文庫。「秩父表※6」88頁、「佐野表※7」218頁
 以上は武士の記録。次は博多町人。
・翻刻『博多津要録』巻七・十八「上方表」335頁。巻九・四十九「大坂表」「長崎表」509頁。巻十一・四「大坂表」10頁他
 そして裁判記録※8。
・「或いは入れ墨百叩きのうえ同所七里四方追放相成り候後、神奈川表において、博打致し候科により…」
 去年の12月、NHK「ファミリーヒストリー※9」で、ヨーコ・オノさんのルーツをたどっていた。曽祖父である税所篤人の記録※10。
・明治元年「十二月八日白河出立仕…同十日二本松表へ着陣仕候」

 「表」コレクションもけっこう楽しい。

※1)田中健夫…日本史・対外交渉史研究。『海東諸国紀』申叔舟著・1471年成立を訳出・岩波文庫。私読んでます。『島井宗室』は著者が東大史料編纂所助手になった1961年38歳の著作
※2)大阪…大坂・大坂城の表記は明治初期から大阪に統一。
※3)例語…明鏡国語辞典も同じ、⑪《地名に付いて》その方向、また、その土地を表す。「江戸—」
※4)1579年…天正7年。大坂は浄土真宗の本山であり、石山本願寺城と呼ばれ寺内町(最盛期は11町)もある宗教的中心都市ではあった(人口は不明)。この年は11年に及ぶ織田信長との石山合戦10年目。宗室がおびただしい利益を上げた亜鉛は、トタン・真鍮の材料。亜鉛華として白色顔料・化粧品・医薬。亜鉛華軟膏は皮膚病薬。石山本願寺は翌1580年信長と和して明け渡しの時に焼亡。焼け跡に秀吉が大坂城を築造した
※5)堺表…堺事件を深く検証した大岡昇平『堺港攘夷始末』(中公文庫)の当時の書類に堺表と記されている。堺事件は川上一座パリ万博成功と博多古謡にも関係するので他日改めて考える
※6)秩父表…「津坂より山越林左衛門に至る。秩父表…」
※7)佐野表…「龍源寺〈の和尚が〉明日佐野表へ出立に付、少し内用有之。」
※8)裁判記録…元治元年の記録。平松義郎『江戸の罪と罰』平凡社ライブラリー153頁。
※9)ファミリーヒストリー…NHK。H29.12.19
※10)税所篤人の記録…池田家文庫奉公書

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