これは、えらいことになった―。ホークスの身売りと福岡への本拠地移転が明らかになったのは1988年夏。山本和範(カズ山本)さんの胸中に湧き上がったのは、そんな不安だったといいます。
渋ちんの南海から、気前のいいダイエーへ。ほとんどの選手たちは歓迎ムードだったといいます。その中で「みんな何を喜んどるんやろうと不思議やった」と振り返ります。「だって福岡で野球するんやぞ」

地元・北九州市民球場でサヨナラ勝ちのホームを踏む山本選手=1990年7月10日
北九州市の生まれ育ち。子供の頃には平和台球場や小倉球場で観戦したこともあります。当時、スタンドの大半を占めるのは男性、それも〝勇猛な〟おっさんたち。ライオンズの劣勢に怒り、負けると荒れます。「下手なことすると石が飛んでくるやんか」。そんな記憶が不安をかき立て、その後の活躍を呼ぶ発奮材料ともなったのです。
たしかに、かつての球場の雰囲気は違いました。平和台球場のブルペンは内野席と外野席の間、観客が見下ろせる位置にありました。「ブルペンにいると晴れているのに雨が降ってきた。見上げたら、酔っぱらいがこっちに立ちションしてやがって」。西鉄の元選手の回顧談です。
わが少年時代の平和台での思い出も一つ。あるおっちゃんが足元に置いておいた一升瓶に打球が直撃ガッシャーン。おっちゃんは最前列へ駆けると、金網を揺さぶりながら「きさん酒ば返せーっ!」と絶叫・連呼していました。
平和台や小倉に限らず、昭和の球場は半ばアナーキーな空間。物騒だったり差別的だったりと、ひどいヤジも飛びました。そのヤジは、近ごろ問題の誹謗中傷と大差はなかったような…。
とはいえ、昭和ではなく令和です。愛が無いのか、それとも過ぎるのか。どちらにしろ、いまやスポーツに限らず誹謗中傷や度を超えたヤジは〝取り締まり〟の対象です。愛するチームの尻をたたくなら、もっとクールにスパイスの効いた叱咤激励はいかがでしょうか。
かつてロッテ応援団は千葉マリンスタジアムの右翼席の壁面に、でっかい「NEVER GIVE UP MARINES」という横断幕を掲げていました。ある試合、序盤で大差をつけられると団員たちは横断幕をそそくさとたたみ始めるではないですか。早くも撤収か? そう思ったら、たたんだのは端っこだけで壁面に残ったのは…。答えは下の吹き出しを。

文 富永博嗣
西日本新聞社で30数年間、スポーツ報道に携わる。ホークスなどプロ野球球団のほか様々な競技を取材。2023年3月に定年を迎え、現在は脳活新聞編集長。