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むかしむかし あるフィールドで(12)未払いの給料が!?

むかしむかし あるフィールドで(12)未払いの給料が!?


【第1問】1950年6月28日は何の日。

 上の問題に即答できる人は、なかなかの野球通。答えは日本プロ野球史上初のパーフェクトゲームが達成された日です。青森市営野球場の球場開き。達成したのは巨人の藤本英雄投手、封じられたのは福岡が本拠地の西日本パイレーツでした。

 1人の走者も出せずに9回2死。パイレーツの小島利男監督はナインの「やめとけ」の声を振り切って自ら代打として打席に向かいました。結果は見事、空振り三振です。

 東京六大学や戦前のプロ野球で好打者だった小島監督も、当時36歳の大ベテラン。藤本投手とは旧知の仲で「追い込まれると、つい外角の変化球に手を出してしまう」と弱点を告白していたそうです。最後の1球は〝注文どおり〟の外角へのスライダーだったとか。しかも、前の打席でヒット性の当たりを放っていた重松通雄投手に代わる出場。後日、藤本投手は「重松さんの方が嫌だった」と明かしています。

 快挙から47年後の97年、パイレーツの主将だった清原初男さんを訪ねました。80歳を前にしても記憶は鮮明。当時のメモ帳も手に、あれこれと話してくれます。その晩は温泉旅館に巨人と同宿。「別に悔しくも何ともなかったよ。世間で騒がれたわけでもないし。巨人の連中はどんちゃん騒ぎしとったけどね」。どんな負け方だろうが単なる1敗と、特別な屈辱感はなかったといいます。

西日本パイレーツの主力野手陣。中央が清原初男さん。

 と振り返りつつ、こんな証言も。「あの球場はバックスクリーンが小さくて、打席から見ると藤本が投げる瞬間の手元がスクリーンからはみ出た。それで球がよく見えなかっただけ。うちの重松はアンダースローだから、巨人の打者にはよく見えた」。まぶたに焼き付いた光景に、少しいらついたような口調。やっぱり悔しかった?

 この年、1リーグ制だったプロ野球はセ・リーグとパ・リーグに分立しました。球団数は前年の8からセ8、パ7に倍増。「水増し野球」と不評で、観客動員に苦戦します。セの新球団パイレーツは給料の遅配・欠配を繰り返し、親会社の経営にも影響。1年限りで同じ福岡の西鉄クリッパーズに吸収され、翌年からチーム名をライオンズと改めました。

【第2問】その親会社とは。

 答えは西日本新聞社です。取材の帰り際、清原さんはニヤリとしながらこう言いました。「ところで、まだもらってない給料があるんだけど」


文 富永博嗣

西日本新聞社で30数年間、スポーツ報道に携わる。ホークスなどプロ野球球団のほか様々な競技を取材。2023年3月に定年を迎え、現在は脳活新聞編集長。

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