この冬、プロでの実績はほぼなく、指導歴もない55歳に、本人も思いも寄らぬ大転機が訪れました。日本ハムの2軍投手コーチに就任した江口孝義氏です。まずはオリックスの球団トレーナーを務めていた2008年に、彼について書いた記事からの抜粋を…
あれほど悩まされた肩の痛みが、ユニホームを脱いだ途端に消えた。「痛くて投げられなかったのに、辞めた後は草野球で投げても張りすらなかったんです」。江口は不思議そうに首をかしげた。
プロ入りは"賭け"だった。ダイエーに指名された1990年は、NTT九州でもほとんど投げられなかった。一度は入団を固辞。「ただ、そのまま会社に残っても投げられるか分からない。それならば、と」。決断には時間を要した。
肩は完治しなかった。現役6年間、1軍での登板は通算16試合で0勝1敗、投球回は22、投球数は358にとどまる。最も記憶に残る登板に挙げたのは91年9月11日、ロッテ戦でのプロ初登板。「投げられるかも分からずにプロ入りして、とにかく投げられたのがうれしかった」。胸に刻まれたのは、抑える喜びよりも投げる喜びだ。

力投するダイエー・江口孝義投手=1991年9月
人の体を学んだ今でも、自分の肩の痛みの根本的な原因は分からないという。「今考えると意識しすぎたのかもしれません。実はそれほど悪くないのに、常に意識が肩にあるから小さな痛みでも感じるというか」。重い物は右手で持たず、寝るときは右肩を下にしない。それでも目覚めたときに右肩が下になっていると、それだけで一日が憂鬱(ゆううつ)になる。そんな日々を過ごしてきた。そして、こう続ける。「今、故障した選手と話すと、同じような選手が多いんですよ」
佐賀工高3年夏の甲子園で148㌔をマークした快速右腕。その輝きは肩の故障に遮られました。現役引退後は専門学校に通い、理学療法士の国家試験に合格。その後も再び専門学校で学び、はり・きゅうなどの資格も取得した努力家です。オリックスの後はソフトバンクのトレーナーも務め、2020年から一般企業に勤めていました。
そこに白羽の矢を立てたのは、球団の運営に携わる栗山英樹氏。医療知識と野球技術を併せ持つ人材を探していたといいます。そんな栗山氏の望みに加え、江口コーチなら心のサポートもできます。実に 29年ぶりのユニホーム。55歳の新たな出航です。

文 富永博嗣
西日本新聞社で30数年間、スポーツ報道に携わる。ホークスなどプロ野球球団のほか様々な競技を取材。昨年3月に定年を迎え、現在は脳活新聞編集長。