ひと昔前まで「血と汗と涙の」なんてフレーズとワンセットだった夏の甲子園。昨今、さすがに「血」はいけません。ましてや昨年の覇者・慶応高のスマートなナインなど、汗と涙も縁遠そうな…。一方で記者たちは、相変わらず血と汗と涙をこぼします。
甲子園球場の記者席はスタンドの一角にあります。日差しは銀傘が遮ってくれても、ここだけエアコン備え付けのはずもなく、ひたすら暑い、暑い、暑い。汗も出尽くすような1日を過せば、晩の生ビールがすすむのなんの。翌朝には「またやってしもうた」と自責の涙がにじむのです。
そんな汗と涙が報われたのは、松坂世代が熱戦を繰り広げた1998年大会のことでした。棚ならぬ、お立ち台からぼた餅が転がり落ちてきたのです。
この年、横浜高の松坂大輔投手を筆頭に逸材ぞろいの高校球児だけでなく、大阪体大の上原浩治投手や、社会人では日本生命の福留孝介内野手が、秋のプロ野球ドラフト会議の超目玉でした。当時のドラフトは逆指名制度。各球団2人まで、大学生と社会人は自ら入りたい球団を選べます。3年前に近鉄入団を拒んだ福留選手は、どの球団を選ぶのか。甲子園取材と並行して、それを探るのも記者たちの重要任務でした。
さて、快勝した日南学園高のヒーローとして、インタビューのお立ち台に上ったのは赤田将吾内野手です。鹿児島県大崎町出身の赤田くんにとって、同郷の福留選手はあこがれの先輩。「僕もプロに行って福留さんと戦いたいです」と笑顔を振りまきます。続けて衝撃の一言が…
「福留さんは中日に決めましたからね」
ぼた餅だ! それでも手だれの記者たちが色めき立つことはありません。「ああ、地元でもそんな話が出ているんだ」。誰かがさも周知の事実であるかのように、クールな声で〝ネタの補強〟を図ります。記者のたくらみなど知るよしもない純な赤田くんは「みんな言ってます。関係の人たちもです」。もう、記者たちはニンマリです。
かくして約3カ月後、福留選手は中日を逆指名しました。赤田くんもドラフト1位の松坂投手に続く2位で西武に入団。プロ入り後もピュアな性格で慕われ、現在は西武の外野守備走塁コーチです。
というわけで―。な、こんな事もあるのだから頑張ってこいよ。そう言いながら後輩記者たちの尻を血が出るほどひっぱたき、炎熱の甲子園へと追い立てるのです。
日南学園高時代の赤田選手(右)
文 富永博嗣
西日本新聞社で30数年間、スポーツ報道に携わる。ホークスなどプロ野球球団のほか様々な競技を取材。昨年3月に定年を迎え、現在は脳活新聞編集長。