球団スタッフに「お疲れさん」と一声かけて帰ったはずのダイエーホークスの根本陸夫監督が、数分後に再びやって来て、もう一度「お疲れさん」と帰っていきました。ところが、また数分後に現れて…。今度はばつが悪そうにこう言ったそうです。「この球場、どこから出るんか?」。1993年、福岡ドームの完成直後の出来事です。
目つきの鋭いこわもてに、異名は「球界の寝業師」。学生時代からのヤンチャ伝説も相まって、根本さんには怖い人とのイメージがありました。いや、イメージではなく実際に怖かった。
ある試合後の囲み取材。某記者の質問が気に障ったらしく、穏やかだった口調が一瞬にして怒声に変わりました。「看板おろしてこいっ!」。○○新聞の記者という〝看板〟をおろし、一個人VS一個人として俺と勝負しろ ― といった意味です。それにしても、場数の豊かさを十分に感じさせるセリフ。当時、御年67歳なのですが…。
夏場であろうが、私服もユニホームも常に長袖。周囲では、腕や背中にド迫力の絵が描かれているのではとささやき合っていました。もちろん、ただの考えすぎ。風呂場で現認した選手が「よかった。何も入ってなかった」と胸をなで下ろしていました。
その一方で〝天然〟というか〝おとぼけキャラ〟というか、前述の「球場で迷子事件」のような、ユーモラスなエピソードにまみれた人でもありました。
その1 ある試合の攻撃中、ベンチ内で「あいつが出塁したら代走でいくぞ。準備しておけ」と控え選手に指示。その選手は答えました。「僕、さっき出ました」
その2 別の試合では代打を告げようとベンチを出たのに、数歩進んで逆戻り。代打に備える選手にこう問うたそうです。「おまえ、名前、何だったっけ」
その3 名前にまつわるエピソードをもう一つ。試合前のベンチで記者と談笑していると、ある選手が目の前を横切っていきました。根本さんは「おい、カワバタ」と声をかけましたが、その選手はそのまま歩いて行きます。「カワバタッ! カ・ワ・バ・タッ!」。声を張り上げながら追いかけても、振り向きもせず行ってしまいました。「あの野郎、耳が遠いのか?」。ぶつくさ言う根本さんに教えてあげました。「あれはカワバタじゃなくてタバタ(田畑一也投手)です」。浜名千広内野手のことも、ずっと「ワカナ」と呼んでいました。
表裏一体とはいいますが、どちらが表でどちらが裏か。強いコントラストも魅力的だった根本さんが、急に逝ってしまったのは1999年4月30日。そうか、もう25年もたつのか。
ド迫力の根本監督
笑顔の根本監督
文 富永博嗣
西日本新聞社で30数年間、スポーツ報道に携わる。ホークスなどプロ野球球団のほか様々な競技を取材。今年3月に定年を迎え、現在は脳活新聞編集長。