
桂花名物の「太肉麺」(1,100円)
「桂花ラーメン本店」
熊本市中央区花畑町11-9
午前11時~午前0時(日・祝は午後4時半まで)
今年1月、熊本市の「桂花ラーメン本店」で名物「太肉麺(ターローメン)」を食べた。キャベツに肉厚の豚角煮。そしてスープは白濁豚骨。あっさりめの味わいだが、マー油がドライブをかけてくれる。コシのある麺ともよく合って一気に完食した。
この一杯を前にすると、学生時代に東京・新宿や渋谷の桂花で食べた記憶がよみがえってくる。当時の東京には豚骨ラーメンはそれほど多くなく、豚骨に飢えていた僕は事あるごとに食べに行っていた。僕と同じように豚骨欲を満たした九州出身者は多いと思う。なぜなら、桂花は東京に進出した豚骨ラーメン店の先駆けとして知られているからだ。

創業は1955(昭和30)年。久富サツキさん(故人)が熊本市内で始めた。人気となった理由の一つが「マー油」である。にんにくや香味野菜をラードで揚げた、今や熊本ラーメンの代名詞。桂花はその元祖とされている。
創業10年目に熊本市内に2店舗目。1968(昭和43)年には「福岡に出すくらいなら東京に行こう」(久富さん)と新宿に出店。その際に誕生したのが「太肉麺」だという。
以来、順風満帆にも思えていたが、1度苦境に陥っている。2010(平成22)年に久富さんの娘で2代目の旅井瑞代さんが経営難に陥り、民事再生法の適用を申請したのだ。
それでも、のれんを下ろさずに済んだのは、国内外で「味千ラーメン」を展開する「重光産業」社長の重光克昭さんの助けがあったからだ。「熊本ラーメンを広げた第一人者。東京にも知名度がある桂花を守りたい」と、重光さんは事業を譲り受けた。
その裏側には、二つの老舗の切っても切れない関係があった。実は、重光さんの父孝治さん(故人)の最初の結婚相手は久富さんだった。旅井さんと重光さんは異母姉弟に当たる。桂花の創業には孝治さんもかなり関与している。マー油は台湾南部の麺料理を参考に生みだし、屋号は兄の名前「桂火」から取っている。その後、桂花を離れた孝治さんは、1968(昭和43)年に味千ラーメンを創業。今や国内外で700店近くを展開するまでなった。
「歴史はつくろうと思ってつくれるものでもない」。重光さんはそんなことも言っていた。
確かにそう思う。僕にとっての桂花は東京で食べた熊本の味。それが学生時代の日々とともに記憶されている。この日、僕の隣のテーブルには、子連れの家族がいた。子どもたちはこの味を覚えているだろうし、大人になってここを訪れたら、この日の記憶がよみがえるかもしれない。
積み重ねた歴史は本当に尊い。老舗がのれんを守るということは、人々の思い出も背負うことでもあると思う。

文・写真小川祥平
1977年生まれ。ラーメン記者、編集者。
著書に「ラーメン記者、九州をすする!」。「CROSS FM URBAN DUSK」内で月1回ラーメンと音楽を語っている。ツイッターは@figment2K